30代を目前にして、「負けてもいいや」の気持ちを「勝ちたい」が上回ってきた。

小学生の頃から、平和主義的というか、とにかく人と何かを競うことが苦手だった。仲良くやろうぜ、が何に関しても先行していて、争いが生まれることを何よりも嫌っていた。
「誰かに勝ちたい」と考えることは、争いの火種になることだと思っていたので、基本的に自分は勝負事で負けてもいいってずっと思っていた。

だから、小学校の頃から地元のサッカークラブ入ったり、中学・高校と運動部に入り、常に勝負事の世界に身を置いていたけど、負けて悔しいって思ったことがほとんどなかった。試合に負けて泣いたのって、本当に自分の引退試合(中高と一回ずつ)くらいなんじゃないかなって思う。それもたぶん、悔しい、という感情よりは「もうここで部活が終わりなんだ」っていう青春に一区切りつけなくちゃいけない、それを惜しむような感情に近かったような気がする。

だから、よく言われる「仲良しごっこ」な部活の過ごし方に、結果的には近かったんだろうなと今になって思う。
自分が、勝負に勝つ、ということを目標に、そのために何をしたらいいかってちゃんと考えられなかったし、一応真面目なので努力らしいことをしつつ、関連の雑誌読んだり動画をちょっとみたりして、おしまい。
たぶん、小さな学びはあったんだろうけど、それが勝利に起因したことはない。

そんなわけで、目標に向かって努力する、というよりは、与えられたもの、目の前に見えている課題を粛々とこなし、負けることがあっても「まぁそういうこともあるよね」くらいで、それほど厭わず、20数年を生きてきた。


けどなんか、最近勝ちたい。
なんでこんなこと思い始めたのか、よくわからないけど、ハイキューきっかけで始めた4年目の社会人バレーの練習試合の中で気づいた。

「小さな町の少人数でやってるバレーの練習試合。でも今、この試合にめちゃくちゃ勝ちたい」

そう考えると、プレーの仕方もちょっとずつ変わってきた。
自分がいるべきポジションがどこなのか。
どんな動きをするべきか。
考えるための集中の練度も上がっていったし、考えるより前に身体が動くことも増えた。
そうやって過ごす試合の時間ってめちゃくちゃ楽しい。

今の自分ができることをやる、ではなく、今の自分が背伸びしないとできないことを、集中してやり続ける

みたいな感覚なのかな。
そんなの、できないことの方が多いけど、できた時の楽しさがすごいある。

子どもの頃は、勝ち負けに対して、感情的になる人が多く、それが喧嘩を産むんだって思っていた。ちょっとは大人になってわかってきたけど、勝ちたい、という気持ち自体には争いの火種はない。
感情をコントロールできないこととか、相手の気持ちを汲み取りきれないとか、たぶんそういうところに火種がある。

それがわかっていれば、自分が避けるべきポイントがわかっていれば、
勝ちたいという感情に、罪はない。
むしろ、ワクワクを生み出すエネルギーにすらなる。

この感情が、自分の仕事をまた面白くしてくれそうだな。ワクワク。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?