【最近ひょっとこを被らなくなった話】

ども。新年あけましておめでとうございます。舟山です。

2014年の春からひょっとこを被り、たくさん写真を撮ってきた中で、いろんな人から言われてきた問い「なんでひょっとこのお面かぶってんですか」

何回も聞かれ続け、特に今年1年は、激詰めに激詰めをいただき、いろんな人に泣かれながら(泣かれながら)なんとなく、その場しのぎ感というか、自分の中でも50%くらいの納得感しかない回答をしてきました。
ですが、なんかその問いに、一歩進んだ答えが出せそうなので、書いてみます。

いや、本当に僕以外の人にとってはどうでもいいし結構長くなる話なんですけど、たぶん面白いので昼休みとかに読んでください。

【本題】
最近、ひょっとこの写真全然撮ってません。というか、バッグに入ったまま持ち歩いているけど、ほとんど出していないから被ってない。

去年の夏とかは、インスタでアカウント作って、毎日のようにアップしてたんですけど、それもここ2ヶ月くらい更新してない。
でもそこに対してなんの感情もなくて、全然気にしなくなった。一時期は死に物狂いで執着していたのに。

んで、日々いろいろ過ごす中でさっき気づいたんですが、たぶん僕がひょっとこのお面を被っていた理由は「”真面目な人”って思われたくなかったから」なんです。

ここで一つ、昔の話をします。
(回想シーンのはじまり)

僕は中学生のころ、三年間学級委員長をやっていました。
三年間もやり続けていたのは、何かアツい想いがあったとかじゃなくて、ただ「誰もやらなかったから」

学びになる経験もたくさんあったけど、今振り返っても、あんまり気持ちのいい思い出じゃない。
 「学級委員長だから先生の言うことはきかなくちゃいけない」「学級委員長だから、他の生徒の見本になるようなことをしなくちゃいけない」とか、そういうしがらみを馬鹿正直に受け入れてきた三年間。
 アツい想いがあるわけでもないので、中学生なりにそういうしがらみに対して、窮屈さを覚えながらも、何も打開することができず、誰もやる人がいないという理由で過ぎ去った三年間。
 その中で、一番なんとかしたいなと思っていたことは、周囲の同級生から言われる「学級委員長は真面目だな〜」という軽口。冗談というか、深い意図がないとわかっていても、やる人がいなかったためになった立場が故に「真面目」とレッテルを貼られるのが嫌だった。当時「真面目」って「つまんない」っていうニュアンスが強いと思っていたから、立場のせいで「つまらない人」と見られるのが嫌だった。けどそれも何も打開できず、過ぎ去った三年間。
 三年間という時間はあっという間です。

とにかく”真面目”というレッテルが嫌だった僕は、その後高校・大学へと新しい環境に移ります。
まだ言語化できていないので、高校生のころの話ははしょりますが、大学で僕は学園祭の実行委員会に入りました。
学園祭のこと考える日々はハイパー楽しくて、授業そっちのけで没頭しつくしました。本当に卒業が危なかった。

ありがたいことに3年生のころ、70人くらいの部署で役職につくことになりました。これが2014年の春。
ひょっとこのお面を買ったのも、これと同じタイミング。
買った理由は、消費税増税前になんか普段買わない物買いたいなって思った時にたまたまハンズでお面が目に留まり「そういえば夏祭りの時にかぶるお面が欲しかったんだ」と思ったから。

んで、買ったままの足で実行委員会の活動に向かって、自慢げに被っていたら、冷ややかな目もありつつ、いろんな人から「なんだそれ笑」とか「なんかバカっぽい」みたいな反応がありました。

この「なんかバカっぽい」みたいな反応が、たぶんターニングポイント。
被っている写真を見た時も「これ被ってる奴、全然真面目に見えないな」って思った。
”真面目”のレッテルを拒んできた僕が、5年越しに見つけられた打開策。

「ひょっとこのお面被ってれば、真面目に見られないのでは?」

これから70人の部署で上に立つ、という中学生以来の経験を前に、僕は「ひょっとこのお面を被り続けていたら、真面目のレッテルは貼られないのではないか」と、考えた。

そこからは、みなさんがFacebookの写真を遡ってもらえればわかるように、ひょっとこ被ってはあちこちで写真撮る日々。

ただ、実行委員会を引退した後、というか学生すら卒業して社会人やってる時にも被り続けたのにはもう少し違う理由がある。
それは、新卒で自分が一番やりたい仕事とは、別の仕事に就いたことで「楽しい毎日!」とは言えなくなってしまった自分を隠すためのお面。
イキイキできない平日を、なんとかごまかしたくて過ごした休日の写真に、ひょっとこのお面を被せて、学生時代の延長「あの人まだひょっとこ被ってバカみたい」をブランディング。
そうやって「あの人全然真面目じゃないし、なんかよくわかんないけど楽しそう」みたいなのを押し出そうとしてきた。

(回想おしまい)
なげ〜〜!
長いけどもうすぐ終わるので、あとちょっとお付き合いください。

さて、では最近の僕はなぜひょっとこを被ってないのか
間違いない、毎日がハイパーハッピーで、ひょっとこを使って隠すことなんてなくなったし、今の仕事が最高に最高なので、真面目って言われるとかどうでもよくなった。誰かからの見られ方を気にしなくなった。

つい先日も牡蠣にあたって二日くらい寝込んだけどまぁハッピー。
誰もやらないからやってるんじゃなくて、僕がやりたくてやっている仕事をできているから、真面目に見られようがなんでもいい。

過去のひょっとこの写真、そもそも写真として最高だなと思っているし、たまに見返すと元気が出るので、負の遺産だとは全然思えない。そんな過去も愛すべき自分。

そんなわけで、最近のふなやまとひょっとこ事情の考察でした。
また被って写真撮ることもあるかもしれないけどその時は「またこじらせてる」か「ひょっとこを使ってハッピーになる方法みつけた」だと思いますので、温かい目で見守っていただければと思います。

なんか大人への階段を一歩登ってしまった感じだ。
けどまぁ、ハッピー!

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