屈原を諭す漁師

伍子胥と同じ楚の国の人に屈原がいます。
彼と同じくらい剛直な人ですが、彼も漁師と関わりがあります。と言っても詩の中での話ですが。

ただその詩の内容に感銘を受けたので書きます。

屈原は士大夫(貴族)で政治家なんですが、マジメで剛直、かつ有能なので疎まれて失脚します。

そして国も追われ、川のほとりで詩を吟じていると漁師に話しかけられます。なぜこんなところにいるのか、と。(なんで漁師は屈原の顔を知ってたのかは疑問です)
屈原答えて、

“みんなが濁っている中で、私だけが清しかったから、みんなが酔っているのに私だけは醒めていたから、追い出されたのだ”

悲しい(でもそりゃ追い出されるわな…)。

悲しいなぁ、、、
屈原の生き方を世の中が許容しないという事、そして彼がそういう生き方しかできない事がとても悲しい。

漁師は重ねて問います、なんでみんなに合わせないの?と。これは屈原ほど高潔でない我々の疑問であり、詩という形をとって私たちの代わりに漁師が屈原に質問しているのでしょう。屈原曰く

“俺にはできない、そんなことするのは嫌だ”

うーんピュアだなぁ

それを聞いてなぜか漁師はニッコリ(原文では”莞爾と”)微笑みます。なぜ笑顔なんだ、、、🤔?

考えるに屈原の答えに満足したから、あるいは呆れたから、あるいはその両方か。

こいつしょうがねぇな
でもこれが屈原だもんな
曲げられんよな
美しく清いけど悲しい生き方よな…

とでも思ったのでしょうか。
この漁師、いったい何者なんだ…

結局、屈原は川に身を投げます。
それを哀れに思った人々が川にお供え物を竹の皮で包んで投げ入れたのが5月5日のちまきの起源だそうです。その経緯は諸説あるようですが。

屈原は市井の人たちには慕われ、尊敬されていたんですね。
それがちょっと救いです。

屈原自身は不幸な最後を遂げましたが、やはりその清廉な生き方はそれを知る人には感動と力を与えてくれると思います。

だから彼の名前も、彼の作品(だと思われているものも含め)、それらが後世に残ったのです。

余談になりますが、この文章を書くにあたって原文を読んで、”莞爾”という単語は”にっこりと(微笑む)”という意味であることを初めて知りました。

じゃああの石原莞爾の名前も現代風なら石原微笑ちゃんとか石原笑太くん、とかそんな感じだったのか…なかなか素敵な名付けですね。

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