苦しすぎて好きだと認められない恋愛。そもそも恋愛が美しいなんて嘘だ。

先日、ある人とカフェに行った。
ある人をもう少し詳しく話すと黒服で歳上の異性である。

私は、敢えて王道の生き方から外れた変わった人に惹かれる。その人も、変わった人だと最初に会った時から薄々と感じていた。

話を聞くと、大学を一度退学して海外に行って戻ってくる者だった。でももっと話を聞くと、「センス」みたいな人だった。

私が実体あるもの、感情や理性といったもので世界を見るのだとしたら、彼は感覚やセンスといったもので世界を見ているようだった。

また、私が星4.0以上のドラマを好むなら、彼は誰も見ないだろう静かなドラマティックの映画を好んでいるようだった。

2、3回しか話を聞いたことはないのだが、その人の世界の見方、捉え方、色々と聞いた。

話を聞くたびに、話はよく分からないのだけど、自分にはない何かが見えてくるようで興味をそそられた。

でも自分には無いものの話で、逆に相手にとっては1番の話題だったから、必然的に一方的に話を聞くしくなかった。

勝手に感想を述べると、違うとか言って否定されそうで怖かったから、なるべく聞くことに徹した。

そもそもまるで感想も意見も出なかった。

私はとてつもなく緊張して、心臓が爆発寸前のバクバクだった。身体が硬直していた。冷房がかかっていたせいか、緊張のあまり全身寒くてサブイボ出てた。

家に帰ると、緊張が解れず震えていた。誰もいない部屋で、震えるままに身を任していたら、震えが頂点を超えて静かな涙がこぼれ落ちた。

それから数日経ってもモヤモヤして、胸がギュッと締め付けられて苦しかった。とてもじゃ、恋とか愛とか認められないほど苦しかった。心臓はドキドキじゃない、ドックンドックンだった。食欲もなくなって、体重は1日で1キロ落ちた。

会いたいのか、会いたくないのかも分からなかった。

好きという文字は思い浮かばなかった。これほど惹かれていて心臓が動いていても、好きと認められなかった。

私は、自分を晒すのが怖かった。自分の感覚がバレるのが怖かった。自分がもし相手を好きだとして、好きだとバレるのももちろん、好きでなくて、好きなのかなと勘違いされるのももちろんイヤだった。何よりも、緊張してる?とか、好きなんでしょ?とか、私が自分の気持ちを整理し解釈するまでに、勝手に答えを出して決めつけてこられそうで怖かった。幸いにも、そのような余裕で上から目線の台詞は吐かれなかったが。

でも、私は信頼されてなさそうだった。尊敬されてなさそうだった。対等な立場で語ってくれた感じがしなかった。自分が弱くて惨めな気持ちになって、悔しかった。

よく知る分野の話で偉そうになるのは無理もないが、私の言葉や疑問が間違っていたと考えるんじゃなくて、私の中にある正義を分かろうとしてほしかった。せめて、私の中にも正義があるという前提で会話してほしかった。

私にも勿論責任がある。私は、自分を恥じて、反論しなかったんだから。それは自分の良くないところだと思った。自分の話を自分からしないで、「なんで分かってくれないの?」なんていう台詞は数々の女性が吐いている。

それでも、私は相手が本気で聞く気があれば、あるいは、私もちゃんと考えている人間だと想像してくれてたなら、私はちゃんと弁解できたと思う。

人の文体はその人を表す。何を語ったか、何を敢えて語らなかったか。その文脈で、なぜその表現を用いたのか。もう少し想像してくれていたら。

言葉には語られないものが多い。語られるものだけで間違いだとか、違うとか否定する前に、語らなかったものに正しさが隠されていないのか想像し、聞いてくれればよかったのに。

と人のせいにしてしまう。

結局、自分にしか興味がない我々である。
結局、自分の正しさを証明したい我々である。

そんなこんなで考え過ぎて、私の目の前から好きという文字は浮かんでは消えてしまっていた。

ところで、「好き」ってなんなんだい?

「好きなの?恋愛的に?性的に?ドキドキするの?」と聞かれても、なんだかなぁ。。

そもそも好きってことにどれほどの意味があるの?

好きとか、恋とか、愛とか、そんなに「良い」ものなのか、「美しい」ものなのか、、?

そんな言葉で誤魔化すんじゃねえよ。

誰かに対して想う感覚なんて毎回違う。
それを毎回、「好き」とか、一般用語で表そうとする方が可笑しいんじゃないか。

一緒にいたいとか、キスしたいとか、手を触れてみたいとか、見てるだけでいいとか、共同生活したいとか、(今)会いたいとか、願望や欲望は色々あるけれど、

同じ「好き」にも、求めるものが驚くほど違う。

「好き」と言って何が変わる?
「愛してる」と言って誰が幸せになる?

ものすごくアンチが来そうだが、好きとか、愛してるとか以外で、自分だけの表現で、その想いを表現してみてほしい。

今、その胸に残った感覚は、好きと言った瞬間、これ以上悩む必要がなくて安心するのか、それとも、それではどうしようもなく言い表せなくて虚しくなるのか。


好きは勿論大事な感覚である。惹かれるのには何かしら理由がある。自分が見過ごしていた大切な何かを教えてくれる。あまり無視してはいけない。

知りたいなら知りたいままに、とことん知ろうとするべし。そしたら、自分が望むもの、足りないものが何かを知ることができるかもしれない。

ただ私にとって、ものすごい勢いで惹かれる時、それくらいの意味しか持たないのである。それくらいというのは、一歩踏み出せば、盲目的に相手に尽くしたくなるほど強力な影響力を持つものであるが、、。

私は、同じ目線で一緒に笑ったり泣いたりできる人を好きになりたい。そんな人と一緒にいたい。はずなのに。


(追記)
登場人物に関する記述は、私の独特な感覚から今の感情を交えて表現したものです。
自分への憎しみと過去の傷を思い出して書きました。ネガティブ発言していますが、実際にお会いした人は本当は素敵な人でした。信頼してみたいと思える人でした。
この出会いは私を変えていくでしょう。

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