「頑張れ」という言葉を気軽に言えない

(5月のほぼ日更新小話シリーズのやつを編集して再公開したら日付が新しくなってしまいました・・・笑)


タイトルから暗くてすみません、でも頑張れっていう言葉を使うときにすごく頭を使いますっていう話です。

あっ、予め忠告しておきたいのは別に自分に頑張れと言ってくるなという訳でも、「この前頑張れって言ったのまずかったかな…」という風にあなた自身を責めないでね、ということです!あしからず。

自分がよくいろんな物事に対して深く考えるようになったのは

中学校の頃によく一緒に行動していた子たちが深く物事に対して考える子たちだったので、アメブロなんかでみんながある事柄について深く考えた記事を読んだり、または自分が書いたりしていたことから延長して今もいろんなことについて考えるようになったのだろうと思います。

まあ、アメブロでの話はあくまで理由の一つで、他にも今までの人生の中で一番病んでいた中学3年生の頃に

「家に自分の心のよりどころがない」

「自分の考えなんて誰もわかってもらえない」

「友達とも喧嘩してしまったしもう生きるの辛い」

みたいな風にどんどん内面が暗くなってネットでうつ病の診断チェックなんてしてた頃のことも影響してるんじゃないかと思いました。

そしてこれまた唐突なのですが「頑張れ」って言われて

「うるせえ!!もうあたしは充分(十分)頑張ってるよ!!!何も知らないくせによくそんな言葉を使えるよな!!!!私のことを知ろうともしないくせに明るい言葉に見せかけて遠回しに距離を置こうとするな!!!!!」

とまあ、言葉遣いが悪く申し訳ないのですが、どうしようもなく取り扱いの難しい生き物になっていたことがありました。

でもこの考えに至った頃からしばらくたっても、この考えが不思議と頭から抜けなくて。

自分が見えていないだけでその人はその人なりにもう充分(十分)頑張っていて、

苦しくてしんどくて辛くて生きるだけで精一杯の人に

もし自分が「頑張れ」という言葉を投げかけることによって

真面目な人や夢に対して物凄く純粋で愚直な人だったら

「これ以上頑張らないとダメなのか…」と失望してしまったり、

それまでなんとか頑張っていたことに対して「あ、なんかもう無理なのでは。もうこれ以上は本当に無理。無理無理無理。。。」

と、一気に急落してしまうことになってしまったら

自分はまずそうなってしまっては嫌だと思います。

もちろん人の些細な言葉っていいようにも悪いようにも他人の人生に影響は微細ながらいや時には多大にその人を動かす力を持っていると思います。

だからこそ、「頑張れ」という言葉を、相手に悪気なく送ったのだとしても

その「頑張れ」でその人が信じていたことや目指していたことなどを

壊してしまったり、その人自身のやる気を削ぐようになってしまったら

その人に悪いことをしてしまった悲しい気持ちと自分自身のことを悔やんでしまうので今はなるべく「頑張れ」という言葉を人に届けなくなりました。

代わりに「頑張れ」という気持ちを伝えるために「応援しています」という言葉をよく届けるようになりました。

自分の感覚的に捉えている「頑張れ」と「応援しています」という言葉が持つ感情はほぼ同じなので「頑張れ」の代わりに「応援していまる」という言葉を選んでいます。

でも、面倒なことをやり遂げるために(例えば大学の課題とか)

「取り組むの面倒だけどぼちぼちお互い頑張ろう」と言って、頑張ろうという言葉を使う時は「あなた1人じゃなくてあなたも私も“一緒に”ぼちぼち(あなたができる範囲のペースで)やっていこう」という意味で

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