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自分のことだけを考える人は意外と多いことにようやく気付いたあの頃。
自治体職員をやって悟ったこと。それは「自分のことだけ考えて生きている人間は意外と多い」ということだ。
税金を払っているのだから何でも言っていいと勘違いしている人間、それに対し、メンドウなことになるのを避けるために「そうですねー」と相槌をうつだけの職員。
ちゃんと対応したほうが誠実なんじゃないかなあと思ったんだけど、結局は自分のことだけ考えておくほうが生き延びやすいんだなってわかった。
不条理な思い出が幾つもあるんだが、そのうちの1つを供養しようと思う。
怒鳴り込んでくるおじさん「詐欺の観光だ!」
ワタシは当時観光関連部署に勤めていた。その部署の脇には観光案内窓口があり、パートさんたちが対応していた。
その窓口に定期的に訪れて、観光行政にブツブツ文句を言うオジサンがいた。パートさんはいつも困って職員に出向いてもらうことになる。
言うことはだいたい同じ。
その街は日本の田舎町にありがちな有名な武将を観光ネタにしていたわけだが、その武将は実は正統の血筋ではない。
それを観光ネタにするのは、詐欺の観光だというわけだ。
「役所は何も変えようとしない」
「前の課長には『観光のはなしであって、お客さんが楽しめることが大事なのだから、良いじゃないですか』と言われたが、そんな馬鹿なことはあるか」
「お前らのやっていることは、詐欺の観光だ」
こんな感じの主張である。
そんなもん役所に言いに来たところでどう動けるものでもないのだが、本人は気づいていないのだろう。
対応する職員は「そうですねー」だけ言って適当に相槌を売っているだけ。数時間経ったら帰っていく。
そんなことを繰り返していた。
お鉢がまわってきたな
ある日、ふたたび怒鳴ってくるオジサンが現れて、パートさんに張り付いていた。
パートさんが帰る時間になり、たまたま居合わせたワタシが対応することになった。クソ、忙しいのに。仕方ねえ。
案の定、オジサン怒ってらっしゃる。
「何回も言いに来てる!」
「お前らやる気ないだろ!」
まあ明らかに嫌な態度である。
そんなに何度も役所にきて何時間もブツブツ言い続けるエネルギーがあるんだったらもっとやり様があるわけで、そっちに振り向けたほうが良いんじゃないかと思った。
そこで、じっくり話を聞いた上で、以下のようなことを伝えた。
「おっしゃることは、わかりました。しかし、それは今ここであなたがおっしゃっているだけです。もしあなたの言うとおりにした場合、おそらく数千人くらいの市民が『役所は何を考えているんだ!?』という反応をすることでしょう。」
「我々事務の役人は歴史の専門家ではありません。ある程度詳しい人というのは居ますが。だから、ここに100回来て怒鳴っても、何も変わりませんよ」
「ですから、役所に来て何時間もしゃべり続けるのじゃなくて、私塾でも開いていただいて、5000人くらい署名があれば、政治家に持って行って、議員さんから質問してもらうなり、プレッシャーかけてもらうなりすれば、変化があると思いますよ。民主主義のフォーマットで動いていますから」
こう伝えた。
定時の時刻になって「あ、そろそろ良い時間ですから」と切り上げようとすると「そうだな、君等ももう終わりの時間だからね」とのたまう
あのなあ、ただでさえ締切もやることも日々いっぱいあってヒマじゃないんだぞ!定時で帰れる日のほうが少ないんじゃ!お前に2時間も費やしたおかげでさらに2時間残業確定なんじゃ!お前はどんなに暇な毎日を過ごしとるんじゃ!
とブチギレそうになるのをぐっとこらえて「そうですね」だけ言った。ここで言い返したらまた30分だの時間がかかってしまう。
ああ、こうやって「そうですねー」だけ言う職員が生まれるのか…。
ちなみにその後も定期的にこのオジサンは訪れてきたが、窓口のパートさんに怒りをぶつけるのはヤメたみたいである。これだけはちゃんと話した意味があったかもしれない。
自分の立場だけ考えることで回っている領域もある。
その後、悟ったことがある。
このオジサンも、職員も、「自分のことだけ考えていた」
このオジサンは、役所はどうして動かないのか?何故だろう?考えてみよう、聞いてみよう、という思考にはたどり着かないし、職員側も、わざわざ対話しなくても「そうですねー」「はい、勉強になります」だけ言っておけば疲れた頃に帰っていくし、給料は出る。
こうやって時間を使っていても、お互い生存はできるのだ。自分のことだけ考えていればいい。
私は自分の考えを伝え、その人にとって生産性があることに導こうとして論理立てて思考を伝えたけど、それをしたことで何かを生み出すかといえば甚だ疑問だ。
私自身、これ以外の場面でも、こうあるべきだって主張を繰り返し、実際に行動に移してハードに働き、理解されずヘンに苦しんで、役所を辞めることになった。焦燥感に包まれていた。
今にして思えば、もっと自分のことだけ考えていればよかった。
これ以外にも幾つかの体験を経て、現在は、「自分のことを一番に考えて生きよう。どうせ死ぬんだから」という思考に至り、今はとても快適である。もっと早くこの思考に到達すればよかったが、必要な体験があったから到達できたんだろう。それでいい。
おしまい。
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