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ハロウィンとムー展

気分転換に久しぶりのnote更新をする。

前回の記事について、知人がTwitterで取り上げてくれた。
おかげさまで、公開から1週間以上経ったにも関わらず、一日に30人以上もアクセスしてくれる日が続いた。感謝感激である。

改めて、Twitterとnoteを連動させること、顔と名前を晒した“正しい”情報発信をすること、日々コンテンツを更新し続け、セルフブランディングする必要性を学んだ。

この勢いに乗り、私もnoteのプロフィール欄も今までのようなフザけたものではなく、以下のようにちゃんとしたものにしたい。

本名:児玉正造。74歳。草莽の志士。愛読書は『人間革命』。主なソースは、チャンネル桜と週刊金曜日、TOCANAなど。有料マガジンは『嘘つき朝○日新聞の真っ赤な真実』『間違いだらけの慰安婦問題』。ミッションは、この美しき豊葦原瑞穂の国をアップデートすること。日々、真実を伝える情報発信をします。

上記に変えてフォロワー数を伸ばしたい。

そして投稿内容も、ケント・ギルバート氏を10人集めて7時間コトコト煮詰め、櫻井よしこ氏で味を整えたような濃厚な情報を発信する。

濃厚な情報と言えば、雑誌休刊報道で世間を賑わせた小川A太郎(仮名)さんはどうしているのだろう。彼もまた“紀州のドンファン”さん並みの消費スピードで私の目の前を通り過ぎ、気がつけばいなくなっていた。

あと、彼の行動を見て騒いでいた、「S社の本を読んで育ち、今回の休刊報道を悲しんだ」という感受性豊かな方々のその後も気になる。彼らもまた、A太郎氏と同様、なかなかナイスファイであった。

彼らの大好きなSNSで「ゲンロンガー、ヒョーゲンノジユーガー」、と阿鼻叫喚した1週間後には、炊きたてホカホカの白米の画像載せて夕飯の美味しさをつぶやいたり、晩酌の写真を上げていたが、一体どういう了見なのか?

休刊という話題に対して「報道をみて、自分の仕事を振り返りました」みたいな話はなく、ただ反応していた気がする。

要するに、皆さん、何だかんだ叫んだって、ネタとして消費して終わったのである。「悲しい」とは発言するものの、「昨日の夕飯に出てきた銀シャケの絶妙な焼け具合」と同じレベルで消費したのだ。ちなみに私は休刊と言われても、「台風の日にちょっと川の様子を見に行ってくる」くらいの好奇心しか湧かなかった。本当に恥ずかしいことだ、反省!!

閑話休題。

さて先週、友人から招待されたので、そそくさとパーティーに行ってきた。

指定された都内某所の雑居ビルに向かい、エレベーターに乗る。音漏れしているドアを開けると、全身をレザーボンテージで包んだキャットウーマンが歩き回り、背中にSWATと書かれた防弾チョッキを着こんだミニスカポリス風SWAT隊員が警棒を持って立っていた。

SMクラブの話をしているのではない、ハロウィンの話だ。

ハロウィンがこれだけ盛り上がるようになったのはいつからなのだろう。幼い記憶を遡ること20年以上前を思い出す。
私が住んでいた九州の片田舎では、ハロウィンといえば「個人経営の英会話教室でやっている西洋の奇祭」程度の認識だった。

オーストラリアから来日したネイティブの先生を前に、

私「なぜ、あなたは魔女なのですか?」
先生「なぜなら、ハロウィンだからです。」

などと無機質な質疑応答をして、結局ハロウィンが何か良く分からないまま、お菓子を貰って帰った記憶がある。

大正時代の旅行記に出てくるソップ(※スープの意)、バタ(*バターの意)、サラド(※サラダの意)のように、“ハロヰン”として田舎の幼稚園児の脳裏に深く刻まれたのだった。

そんなことを思いつつ、イベントに参加していた。2時間ほど談笑し、スマホで写真を撮ったりしていたのだが、ふと大事な要件を忘れていたのを思い出した。

突然、「あ゛ああああ」と奇声を発する私を驚いた表情で見つめるグリフィンドール生の格好をした友人たち。呆然とする彼らを前に、2時間中抜けすることを詫び、私はすぐに着替え、一路、池袋を目指した。

向かった先は、もちろん、池袋パルコで行われていた「ムー40周年展」。

21時までやっているので、11月のどこかで仕事終わりに行けばいいやと思っていた。しかし、10月いっぱいで展示会は終了。しかも最終日は18時に閉まるという。これは必ず参加しなければと思い、全力疾走で会場に向かった。

「スピリチュアルやオカルトが好きなんですか?」と聞かれると、私は否定する。

なぜなら、“スピリチュアル系”というと、完全にあちら側の人になってしまうからだ。しかし、もう少しポップかつカジュアルにスピリチュアルを楽しむライトな層、いわばスピッツ層もいると私は思っている。

「愛してるの響きだけで強くなれる」気はしないが、巨大な闇の権力がUFOに関する情報を握り潰している気がする、そんな間違ったベクトルへの想像力が逞しい人たち。終末論やらキリスト再誕やら「想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」と思っている人たちは一定数存在する…はずである。彼らこそ“スピッツ”と呼ぶべきである。

「どうせ、電波系なんでしょう」と侮ることなかれ。

スピッツには、「超常現象と一定の距離を保って楽しむ、あるいは、あっち側の住人を見て楽しむ」という高度な離れ業が要求されるのだ。大切なポイントは、「絶対に、対象にハマってはならない」こと。

スピッツとしての私の活動内容を知人に報告すると、だいたいが呆れているか、真顔で注意される。しかし、これは趣味で言うと、たまにテレビに出てくる「山菜採りの名人」みたいなものだ。

彼らを見て、「何で、数キロ先にある、道の駅で買えるワラビやキノコを、わざわざ山の中に入って採ってくるんですか?」と聞きますか、あなたは?

ハッキリ言うと、そんな質問は野暮です。山の中に入り、毒キノコや毒草を掻き分けて、新鮮なネタを採り味わう。そのスリルがたまらない…と思う。

ひと昔前なら、オウマーやオウムウォッチャーなどと言われたのかもしれないが、そんなに高尚なものではない。単純に、冷やかしである。

そんなこんなで、ムー展に行ってきたのだが、“眼福”とはこういうことを言うのだろう。まず、創刊以来の特集内容を一覧にしたパネルから伝わる「とにかく地球を滅亡させたくてしょうがない」編集方針に感動した。滅亡の理由は様々で、王道の“ノストラダムスの予言”から、殺人ウイルス、隕石まで、よくもまぁこれだけ集めたものである。

さて、話を戻すと、40周年記念のメッセージも素晴らしかった。福山雅治氏から韮沢潤一郎氏に到るまで、豪華執筆陣に感動した。特に“隠れ韮沢ファン”の私にとって、まさに聖地というべきであった。

日本におけるUFO界の重鎮として「金星人の住民票を持っている」ことで有名な韮沢氏だが、私も彼のように、矛盾と混沌を極めた社会人になりたいと思う。彼は以前、テレビ番組で金髪のアメリカ人が写ったパネルを持ち出して「これは金星人です!!」と主張していたが、彼のように、“どんなに周囲に笑われても、1ミリも根拠のないことを堂々と主張し続ける自信”は見習わなければならない。

そんなこんなで、ムー展は素晴らしく、私に生きる勇気と希望を与えてくれたのだった。

では、また。

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