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【リレーエッセイ】#02「私の履歴書」福田安典(近世文学)

そうだ、文学部に行こう!

 思い起こせば50年前、古典と地続きの地域の旧家で育った私は中学校へ進学した。祖母の里が高安(『伊勢物語』の筒井筒に出てくる)であり、古典文学には馴染みがあり、宴席では伊勢音頭や江州音頭が突然合唱されるような環境で育った私は、その反動から海外文化へ憧れた。ローリングストーンズを聞きながら、カフカ、サルトル、デカルト、キュルケゴールなどを読み、ゴヤやダリの画集を眺めていた。
 当然、英語と理系に強い男子校に進学するのだが、その高校時代にもっともはまったのが日本古典文学であった。とにかく原文で読めるようになりたい。特に好きなジャンルはなく、古典というだけで貪り読んだ。
 やがて進路を決める際には、その頃寺山修司の演劇や短歌に興味を持ち始めたこともあって、「そうだ、文学部に行こう」と決めた。当時は多くの大学にはまだ教養課程があって、専門は3年生からとのことだったので、とにかく文学部にさえ入れば楽しいだろうと考えていたのである。

日本文学科(旧国文学科)は楽しい

 文学部はとても楽しいところだ。本当かどうかはわからないが、高校生の時に群書類従を読破したとか、演劇の専門誌を中学から定期購読していたとかいう「猛者」がごろごろいる世界である。先生方、先輩、後輩、出会う人間すべてが面白く、毎日大学に行った。
 そのうちに2年の終わり、専門の研究室を択ぶ時期が来た。悩んだが国文学科(日本文学科、以下「日文」)に進んだ。そして古典文学で卒論を書き、大学院進学を志す。
 日文の生活は恩師島津忠夫先生を始めとする愉快な出会いが多く、想像以上に楽しかった。パソコンなどがなかった頃、演習での国歌大観は奪い合い状態。和歌を調べるために人が少なくなる深夜に研究室に足を運び、昼間は古典関係の専門書を読んだ。そのうち誰かが旧国歌大観を暗誦した方が早い、と言い出して暗記合戦が始まる。その頃の体験や仲間が私の宝物である。

日文の仲間達

 大学は「友達」を作るところではなく「仲間」を作るところだと思う。多くの仲間からいろんな刺激を受けた。マスコミ、企業の広報、教員など多士済々の仲間に恵まれ研究者の道を選んだ。その仲間たちの中でもっとも忘れられないのが時松孝文さん、2年上の先輩である。時松さんとは本当に語り合った。今の研究では何が問題なのか、どのように論じるのが次の時代に「来る」のか、夜を徹して議論することもあった。「時松が福田を鍛えた」というのは当時の阪大の巷説であった。
 時松さんのことを書き出せばきりがないのでこのあたりで筆をとめるが、この文章をお読みの方に申しあげたいことがある。日文は本当に素晴らしい出会いがある。作家、作品、研究書、研究仲間、同窓生、同じ志向を持つものがこの密度で集う空間、それが日文世界であろうと思っている。


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