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【リレーエッセイ】#01「能に魅せられて」石井倫子(中世文学)

前史:古典との出会い

 たまたま手に取った田辺聖子の『舞え舞え蝸牛 新・落窪物語』があまりにも面白かったので、次々と田辺聖子の古典モノを読み漁った中学時代。それがきっかけで高校では古典漬けの日々を送ります。古文の授業で徹底的に文法を叩き込まれたおかげで、原文で読める楽しさに目覚め、辞書を片手に『竹取物語』『更科日記』『蜻蛉日記』『讃岐典侍日記』『枕草子』など、片っ端から読み、意味の取れないところは先生に質問しまくったものでした。高2の頃には「大学で古典文学を勉強したい!『落窪物語』の研究をしたい」という思いが強くなり、文学部への進学を決意。お世話になった先生は「君が『落窪物語』で卒論を書くなら、僕が『落窪』の研究書を出すよ」とおっしゃって下さっていたのですが……。

運命を変えた『六百番歌合』そして〈鵜飼〉

 晴れて国文科に進学後は、『落窪物語』で卒論を書く気満々で、仲の良い友人と中古文学の自主ゼミに参加して『伊勢物語』を読んだりしていたのですが、久保田淳先生の『六百番歌合』の演習で、歌合(うたあわせ)という和歌のバトルの場での藤原定家をはじめとする歌人達のガチのぶつかり合いに激しいカルチャーショックを受け、そこから次第に中世沼にハマることになります。
 この頃、松岡心平先生や渡辺守章先生の授業を受講する機会にも恵まれ、それまで自分とは全く縁のなかった能に興味を持つようになりました。一度は生の舞台を見てみようと、ほとんど予習もせずに自宅の近くにある能楽堂に飛びこんだのは大学三年の六月頃だったでしょうか。曲は〈鵜飼〉。ざっくりしたあらすじは以下の通りです。

行き暮れて、甲斐国石和の辻堂で夜を明かす旅僧の前に、松明を手にした老人が現れる。この老人はかつて僧に宿を貸した鵜使いの霊で、殺生禁断の場所で鵜飼をした罪で処刑されたと語り、鵜を使う様子を再現して見せると闇夜に姿を消す。弔う僧の前に地獄の鬼が現れ、老人の霊が法華経の功徳により極楽浄土に送られたことを告げ、法華経の霊験あらたかさを示す。

 松明を手に登場する老人の姿は今でもまざまざと甦ってきます。謡曲集のコピーは持っていったものの、わからないことだらけ。「何かとてつもないものに出会ってしまった!」という衝撃。「もっと知りたい」と帰り際に堂本正樹『能・狂言の芸』(東京書籍,1983)を買い求め、よくわからないながらもひたすら読み耽りました。当時はネットなどもなかったので、知りたいと思う情報は、とにかく本を探して調べるしかなかったのです。

オタク、中世に宗旨替えする

 その後、能・狂言の情報を発信している専門紙『能楽タイムズ』の定期購読を始め、公演情報を調べて能楽堂に月に2~3回は通うようになりました。お気に入りの小鼓方や狂言方の追っかけをしたり、まさに、今でいうところの「推し活」です。それを知った松岡先生から「能で卒論を書かないんですか?」と口説かれ、「えー、でも難しいんじゃないですか?」「そんなことないですよ」といったやりとりを経て、「そうか!能で卒論を書けば、4年になっても能楽堂に通う口実ができるじゃないか!」と、今にして思えば実に安易な考えで中世に宗旨替えし、能を研究対象にすることを決めました。

「出会い」に導かれて

 『百人一首』の「これやこの~」で有名な蝉丸が逢坂の関の明神として生き別れになった親子を再会させるという筋立てに興味を持ち、世阿弥の『逢坂物狂(おうさかものぐるい)』という作品で卒論を書こうと思い立ちますが、現在上演されていない番外曲ということもあってか先行研究はほとんどなく、卒論ゼミもないので、研究は自力で進めていくしかありません。途方に暮れていたところ、松岡先生の紹介で法政大学能楽研究所(以下「能研」)に通い始め、能研主催の研究会に学部生ながら参加させてもらって「こういうことを調べるにはこれを読むと良い」「これは必読書」といった基礎知識をひとつひとつ身につけながら、ひたすら読み、調べ、考え、自分なりに納得のいく卒業論文の提出に漕ぎつけました。
 能研に出入りするようになって、能楽研究といっても作品研究・能楽論研究・演出研究・音楽研究と実に多岐に亘るアプローチがあることを知り、和歌・連歌・説話・宗教といったさまざまな分野の知識がないと歯が立たないことを痛感します。ここに至ってようやく「もしかすると、大変なところに足をつっこんでしまったかもしれない……」と気付きますが、その大変さよりも作品の背後に広がる中世的世界を読み解くことの面白さに魅せられて、さらに研究を続けるべく大学院に進学しました。能を研究するにはテキストを読んでいるだけではダメだと思い、謡の稽古、次いで太鼓の稽古も始めました。気が付けば謡はかれこれ30年以上続けています。
 改めて振り返ってみると、本当にいろいろなモノ・コト・人との「出会い」に導かれてここまできたのだなあと、なんとも感慨深いものがあります……。

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