文系力

『「文系力」こそ武器である』 斎藤孝著。東京大学法学部卒業。同学大学院教員学研究科博士課程修了。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。

この本では、理系重視ともいえる科学技術の時代において、「文系」の人びとがどのような強みを持っていて、活躍できるのかについて論じられている。

著者のいう「文系」は単に理系になれなかった人を指さない。2つを分けるもの、すなわち「理系」と「文系」の違いは厳格さと曖昧さにあるとする。

「理系」の世界は厳格な知の世界だ。科学の研究では、決められた手順で厳密な実験・観察を繰り返し、仮説を検証していくというきっちりとしたプロセスを必要としている。

それに対して、「文系」の世界はどうかというと、ぼんやりとした知の世界である。文学や社会学、経済学といった学問では、理系の学問のように、きっちりとしたプロセスではなく、アバウトななんとなくの共通理解の上で成り立っているからである。

著者は理系にはない文系の強みとして"総合的な判断力"を挙げている。これは、曖昧な世界であるが故持っている幅広い視野を活用し、そのうえで総合的な判断を下せる力である。明治時代、日本を興したリーダーたちはみな文系で、彼らはその「文系」の知を駆使し、社会全体を見渡しながら政策を行った。やがて彼らの政策は成功を収めた。近代化で必要だった個々の技術は「理系」の世界の恩恵といえるが、それらを指揮し、社会を変えていったのはまさに「文系」の功績だった。


著者は、文系の人々を勇気づけ、文系ならではの力を自覚させ、矜持と自負を持たせる意図があるように私は思う。しかし、文学部だからプライド高く行こう、また、工学部だから関係ない、とのように考えるのは軽率だと考える。

著者は「文系」の力は幅広い知識によって初めて能力を発揮するとしている。その知識を身に付ける手段として読書を推している。

文系力強化の柱は、なんといっても読書です。文系が武器とすべき判断力、現実への対応力の基礎となるのが、読書によって培われる教養です。前にも言ったように、読書さえしない文系は、文系でも理系でもない、ただのぼんやりした人とみなされてしまいます。

このため、いわゆる文系教育を受けたというだけでは不十分で、読書を通じてなるべく幅広い教養を手に入れることが、文系力を発揮する条件であることがわかる。逆に言えば、たとえ理系教育を受けた人であっても特定の分野に固執せず、幅広い教養を手にすることで文系力を活用できるのではないか、と私は考える。


私は工学部化学工学専攻とバリバリの理系であり、「文系力」というものはたいへん弱いのかもしれない。しかしながら、この複雑な現代社会を生き抜くためには、文系力だけ、理系力だけのような偏った能力では心もとないと思う。高度化した技術を文系の人々が全く理解せず無視できるかといったら、そうはいかないだろうし、理系の世界でも多くの分野にわたる広い視野をもつことで革新的な発明を生むこともあるかもしれないからだ。普段、遠くに感じる文系力を磨いていきたいと思うと同時に、高度な技術社会を生き抜くには、文系と理系のバランスが大事なのではないかと感じた。


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