見出し画像

洞窟の中で生きる

倫理で

プラトンの洞窟の比喩

の話を聞いたことはありますか?
これはイデア論、つまり
「本当にこの世に実在するものはイデアであって、肉体的に感覚している世界や対象はイデアの似像にすぎない」
という考え方を説明するためにプラトンが考えた比喩です。
(わかりやすい説明ができなくてごめんなさい)

この洞窟の比喩に関連して、、

最近いろんなことを考えてる中で、
少し捉え方は違うかもしれないけれど、
人はきっと一生それぞれ一人一人の洞窟の中で生きていくんだろうなって思ったりして。
人と人が出会ったり、同じ時間を共有することがあるのもたまたま洞窟が重なった部分があっただけで。(なんか少し寂しいことですが)
そして私たちに見えてるセカイはイデアの似像というか、ほんの一部。

なにが言いたいかというと、
自分以外の人や世界のことの真実、事実を全部知ることはできないんじゃないか?
ということです。
いや、もしかしたら自分のことでさえもわかってないことがあるかもしれないですね。

そう考えたときに私は、
もし私だけの洞窟で生きてるのなら、他人のことや世界のことは見えてないところが沢山あって、だとしたらそれらのことについての無責任な発言はできないなと改めて思ったんです。
だって見えてる一部を見て想像で話してることの方が多いんだから。(無意識のうちに)

ひとつ前の記事で言葉について書きましたが、同じような内容ですね。
SNSが発達したことで、一人一人の洞窟が重なる部分が増えました。(それ自体はすごく幸せで尊い繋がりだとおもいます。)
それによって生まれたポジティブな変化もたっっっっくさんあります。
でもあまりにもネガティブの面がもつパワーが大きすぎる。これについては真剣に考えなきゃいけないことだって心から思います。

どのようにしたらもっと生きやすく(息しやすく)なるのか、平和で愛に溢れた世界にできるのか、といった問題はたぶん生きてる間一生考えないといけない問題なんでしょうけど
真実が100%見えてるセカイはないということを考えると、自分の発言がもっと薄っぺらなものではなくて、重たい、責任が乗っかったものになるのではないかなと思います。
(まだ考えてる途中でうまく表現できてないところがある気がしますが、わかりづらいところはコメントください📝)

さて、2020年も下半期に突入しました。
ネガティブから目を逸らさず、でもポジティブになることに遠慮せず!!
私はもうすぐ20になるので頭をつかっていろんなことを考えて生きたいです。 
そして、
これを読んでくれたみなさんがなんとも言えない世の中ですが、どうか自分のことを愛して生きることができますように。

(2投稿連続で重い内容になってしまってすみません🙏🏻 今度こそ楽しい趣味のことについてでも書こうかな?笑笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?