年齢の意味がようやくわかった

年長者を敬う、という感覚が欠落してるんだと思う。
文字にしてしまうと我ながらどうしようもない人間性なのだけど、物心ついた頃からそうだった。
心の中で何度も繰り返してきた「なんでだよ」には、親や先生に対する反発心だけじゃなく、純粋にわからない、不思議、という気持ちもあった。


最近ものすごい発見をしまして、年齢って、そのひとがそれまでに生きてきた時間を表しているんですよ。

言葉にすると当たり前過ぎるのだけど、ものすごい発見って大体そういうものだから仕方ない。

30歳のひとって、30年間生きてきたんですよ。
50歳のひとは50年間生きてるし、15歳は15年間生きてる。
みんな知ってたのかな。
私は、知ってたけど、最近ようやくわかった。

30歳のひとは30年間生きていて、30年間で考えたこと、感じたこと、見聞きしたものとともに、いま、いるってことなんだよな。
最近懐かしいひとが夢に出てきたり、生まれてからの思い出を振り返る機会があったりして、「あ、あの瞬間って、いまも私の中にあるんだ」って。
それは当然私だけじゃなくて、みんな、そのひとが生きてきた時間、その体験が全部いまもそのひととともにある。

名前、性別、年齢。
自己紹介するときも、他人の説明をするときも、大抵その3点セットから始まるのがいつも不思議で、そんなんでひとの何がわかるんだよ、と思ってた。

でも年齢はそのひとに流れてきた時間、そのひとの中にある時間なんだ、と気づいてから、ちょっとだけ受け止め方が変わった。
相変わらず、長く生きてるからって敬う理由にならないでしょとは思うけど、目の前のひとが生きてきた膨大な時間に思いを馳せるということをするようになった。
そのひとが過ごしてきた時間の重みごと、ひとを受け止められるようになりたいな、と思う。



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