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ゆっくり明るくなる

気がむいたらいく植物園
加子のなんたる星10月号連作から歌をいくつか引きます。

くすぐったいところにできる外国の宝石ぐらいあおいろの痣

痣の説明なんだけど、ただの痣じゃなく思えてしまうのは、「くすぐったいところ」の普段見せない場所というか、ちょっとえっちいとこ感が効いているのと、「外国の宝石ぐらいあおいろ」の、価値を与えられたような痣への肯定、だと思います。
痣を受け入れているかのような気がして、そういうプレイの一種を経ての痣、なのかなと読みました。

鍵盤は舐めても音になるけれどほんとだ指もきもちいいんだ

ほんとだ!鍵盤は舐めても音になる!
この歌は「ほんとだ」がすごく良くて、「けれど」の切り返しに「ほんとだ」って指でまた鳴らして確かめてるんですよね。ヨダレなんて気にせず。あ、でもこの歌は連弾なのかな。「舐める」→「指」→「きもちいいんだ」のきもちいいは、オルガズムを呼び起こすきもちよさではなく、心地よい方に寄ってますよね。指のぷにぷに感とか、猫の肉球のぷにぷに感というか、の、きもちいい。だから聞こえてくるピアノの旋律もきもちいい。和音ですね。は?全然ピアノ分かりませんけど。

水だけでおおきくなれていたころがなつかしいかときかれている

加子が出す特有の怖さ、の歌。水以外はすべてひらがなで、きっと夢の中なのかなと読みました。夢の中で言われている。水だけで大きくなれていた頃って、胎児の頃かな。羊水に守られていた頃。その頃の記憶なんてあるわけないのに、「なつかしいか?」と訊かれている怖さ。答えられないじゃん…。人生をリセットしたいか?とイコールですよね、これはもう。そして次の歌。

あふれてからそうと気づいた浴槽に沈めてもぷかんとする身体

SNSなら「沈めてみた」のタグが付くやつ。
胎児の頃に戻(し)りたくて、リセット(させ)したくて、沈(める)む。けれど肺が身体を浮かせてしまう。心臓も、肺も、脳も、生きたいとそれに抗う。
んー、でもこれは自分で沈んでるのか、誰かを沈めているのか分からない。沈められている、もある。「ぷかん」の小さなオノマトペの、胎児感が、この歌全体から音を消していてこわい。水のとぷとぷ感。

雪が降ればさよならばかりいいたがる噴水もしずかになるだろう

冬って噴水はおやすみしますよね?これって雪国だけなのかな。雪があまり降らない場所では冬でも噴水は出続けてるんですか?
「雪が降ればさよならばかりいいたがる」で切るのなら、冬は別れの季節ですね、の上の句になって、噴水は単なるオブジェと化してしまうんだけど、さよならをいいたがる噴水の歌だと、噴水の、冬への焦燥感がガバッと出てきてものすごく悲しい。「なるだろう」の、「いっそそうなってしまえばいいのに」感に、冬は黙っとこな?じっとしとこな?の生き物としての慈しみが出てると思います。

おねがいをするとそのぶん丁寧にいれてもらえる名前のながいお茶

あったかい。寒い歌から、あったかい転調。
名前の長いお茶って、身体とか気にする人が飲むやつですよね。こだわってます!オシャレだぜ!値段高いぜ!のやつ。

よぶ声に返事をしないときめたときわたしのひかりまじりの呼吸

加子は「ひかり」をよく使う。
この歌でも「ひかりまじりの呼吸」はすごく効いていて、それは踏んでも潰れない、掴もうとしても掴めない、普遍的な女性性をすごく感じます。
呼ぶ声に返事をしないと決めたのは喧嘩したのか、不貞腐れてるのか。
きめたとき「の」ではなく、きめたとき「(見えない)に」だからこそ、ひかりまじりの呼吸がスッと立っている。呼吸がどこにも行かない。そこに「在る」のが、強い。

滑らかにひらく門にひたいをつけて気がむいたらいく植物園

植物園って、熱帯の植物を生かすためにずっと湿度と気温が高くて、ずっとは居たくない。だからそう、気が向いたら行く場所。滑らかにひらく=いつでもおいでね?のウエルカムを拒む行為が「ひたいをつける」なのがかわいい。祈りにも似ていて、その門からも熱帯の湿度や温度が伝わってきそう。いや、伝わっているから拒む。行きたくねー、って。でも寒い時なら、フラッとは行ってもいいかな?とは思う。

10月の連作を、こうして12月に読んで、あ、なんかちょうどいい季節感!となりました。
もしかして狙ってた!?

加子と東京でいろいろ話したけど、加子が加賀田優子になる時、加賀田優子が加子になる時、のスイッチの切り替えの滑らかさが、ツマミで少しずつ明るくなる照明みたいで、すごく安心しました。