占いという道標(ヤバくない)
数年前から私はゲッターズ飯田の占い本を毎年購入している。
お守りのようなものだ。
コンビニや書店でタイプ別に分けられその年のラッキーカラーのカバーで販売されている。
一年間の運勢と、一年間の毎日の占いがダイアリー帳のように書かれている。
なので今年の今日はどんな運勢か、それに対するアドバイスが読める。
更に月毎のアドバイスや開運のための三箇条がまとめられていて、もうそれに従い生きていけば間違いないと思うくらいだ。
まあ、別に毎日しっかり確認してそれを胸に生活したりはしないんですが。
ふと落ち込んだりした時に、そこから抜け出すための足がかりというか、きっかけを求めている。
またはライトな選択に迷ったときの決めるヒントにするなど。
ゲッターズ飯田氏もそう書いておられるが、大事なのはそこから自分がどうしてゆくか、である。
占いは迷いが生じたり心が挫けそうな時に寄り添い進む先を探す手助けになるものだ。
私は迷っていないときには本を開くことすらしない。でもちょっと失敗したりして、クヨクヨした時などにここ数日やその月のアドバイスを、読む。
なんとも都合がよいことだ。
しかしゲッターズ飯田氏は、折れそうな心を支えてくれるありがたい存在だ。
迷いとは恐怖である。
自分では判断できず、何を選んだらいいのかわからない。
どうしたらいいのか、決められない。
しかし立ち止まっていてはどうにもならないし、いつまでもそうしていられるわけでもない。焦る、惑う、悩む、そして恐れる。
そんな時に占いは、何らかのことをある意味明言してくれる。
迷いの霧の中にある私に、明かりを示してくれる。
気持ちの整理をするための足掛かり。
ゲッターズ飯田氏の占い本とは、占いとは、私にとってそんな存在だ。
そう。そんな存在だった。
2023年春、私はゲッターズ飯田の占い本をすっかり開かなくなった。
おそらくは、悪いことではないのだと思う。自分で消化できないもやりとした迷いや不安、悩みがないということだ。
もちろんそれらがまったくないわけではないが、それは折り合いをつけたりしておさめられているということだ。
それはなぜかという話はまた今度。
人は、ひとりでは生きていない。生きていけない。こんな私でもだ。
何らかにかかわって、生きている。
それが社会というものだ。
そして心を支えてくれる、何か。
それが必要だ。
心の支えについても、また今度。
ゲッターズ飯田氏の占い本を、来年も買うだろう。やっぱり、辛い時を支えてくれたから。
そして、占いは全てではないよといってくれたから。
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