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昭和生まれ平成育ちの部活は終焉しました

ピン、ポン、パン、ポ~ン。
報告いたします。
令和6年度の公立中学校の部活動と平成一桁の部活動とは全く別モノです。

滋賀県大津市の公立中学校の現状です。各都道府県、市町村で相違はあるでしょう。ただ、文科省が令和4年7月に「運動部活動の地域移行について」のガイドラインを発表しており、公立中学の部活動の変革はどんどん進んでゆくと思われます。

話には聞いていましたが、部活というよりもはやサークルと言った方がいいかもしれません。
私が平成元年に地元公立中学校(当時は郡でした)に入学した当時の部活動と比較してみます。
補足しますと、近畿大会へ出場することもできなかった、ごく一般的なソフトテニス部でした。

部活動今昔

  • 授業が始まる前には30分ほどの朝練があった。➡今:朝練は完全になし。

  • 平日は週5日練習があった。➡今:平日の練習は週3日。春の中体連の直前にも普通に部停日(テスト週間でもないのに)があってびっくりした。

  • 平日の練習は18時まで。冬至あたりは日が暮れたら終了。➡今:6時間授業の時は17時半まで(10~1月は17時まで)。5時間授業の時は17時まで。つまり夏でも冬でも、5時間授業のときは17時に練習終了!

  • 週末土曜日は半ドンだったため、午後は練習し放題。昼食はお弁当に菓子パン1個か2個プラスして部活に備えていた。日曜は基本的に休み。➡今:土曜は顧問の先生の方針に依る。日曜は完全休日。土日休みの部も多い。

  • 今:春休みは全部活が完全に活動を休止

どうです? 平成育ちの部活は終焉したと言っていいでしょう。
甲子園や選手権を目指している野球やサッカーの意識高い系は、学校の部活にはもはや入りません。クラブチームに入ります。

「何部に入ったん?」と聞かれ続ける娘

それでも日本人のDNAには部活というコードが刷り込まれているようです。
中学入学以来、繰り返される「何部に入ったん?」との問いに、「今日は9回聞かれたわ・・・」の日もあり、説明するのも疲れると「帰宅部です」と答えている娘です。
本当のところは、小学校から続けているマイナー競技の地域クラブに入っています。

平成育ちのわたしからすればクラブチームの良さは、変な縦社会がないことにつきます。「先輩」ってワードもありません。
そして、学校とは全く異なる人間関係の場所でもあります。言うなればサードプレイスです。自分が好きで行っている場所ですから。
思春期の何かとモヤモヤとする時期に、学校の人間関係のストレスから距離を置けるなんて、なんと羨ましい。わたしの思春期つらかったわ。

部活でトラウマになっていることがあります。
入部するのにラケットを用意しました(指定はありませんでした)。二股になっているラケットです。
入部早々は球拾いやランニングが主 ですから、ラケットは壁に立て掛けていました。すると上級生が足を止めてわたしのラケットを見るのです。代わる代わる手に取っては何やら話したり、こちらの方をちらちらと見たりしています。
何がまずかったのか、二股のラケットは生意気だったのか(性格が生意気であることの自覚は十分にありました)、男子ソフトテニス部の兄にも相談して決めたのに、と頭がぐるぐるしました。
当時の2学年上の先輩の怖さったら無かったのです。萎縮していましたし、自分を出すことなんで全くできませんでした。
その体験はその後に尾を引きました。
社会に出てからは、女性の先輩には変に意識をし過ぎてしまい、緊張してよく空回りをしました。相手にどう思われるのかがまず気になって、すごく疲れました。

学校における部活動とは教育の一環です。部活を通して心身共に鍛えることが念頭にあり、その組織は性質上軍隊に近いものがありました。
厳しくて当たり前、それが正義であり成長につながると信じていましたし、今でもその呪縛からわたしは完全に解かれていないようです。
その証拠に毎日練習がない娘のクラブチーム(週3日)に「大丈夫なん?」「練習ない日は自主錬した方がいいんとちゃう?」と思っているのですから。
スポーツって本来は気晴らしや遊びであり、楽しむものです。体を動かすことで健康を維持し、精神的充足をも得られる、言わば文化活動です。

文科省が教員の働き方改革の一環とはいえ、部活動を地域へ移行する舵を切りました。

厳しさから本当の意味での楽しさへ。
良くも悪くも縦社会を経験しない子供たちがこれから社会に出てきます。縦社会の権化のような会社組織も変化してゆくでしょう。
縦社会があるから会社は存続できるのか。
はたまた縦社会にこだわる会社は淘汰されていくのか。

その経過を観察するのが楽しみでもあります。



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