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日記 2024/06/08

2024/06/08

 土曜日。前日はあまり寝ていなかったので、夜は12時ごろにはもう眠っていた。熟睡したと思って目を覚ますと、2時だった。でも少しも眠くない。そこから本を読んだりしながら、6時ごろまで起きていたけれど、そこで少し眠くなって十分ほど寝ようとソファで目を瞑った。目を覚ますと17時だった。身体は元気でもやっぱり睡眠不足だったのかもしれない。

 連絡があってKさんという人に夕食に誘われた。僕の周りには食事によく呼んでくれるおじさんとかおじいさんとかが何人かいる。僕はひとの話を聴くのが割と好きだからか、彼らは喜んで話してくれる。その態度が好評なのかまた誘われる。遠慮なく奢ってもらえるくらい歳も収入も離れた人達なので、呼ばれても軽く行くことができる。仕事で知り合った70代のKさんもその一人だ。連絡には行きますと返答した。 

 今夜は焼き鳥屋だった。ときどき呼ばれて行くことがある店だ。その人によるとなかなか予約の取れない名店らしい。カウンター席しかないこぢんまりした店で、藍染の作務衣を着て、髪を短く刈ったいかにも職人らしい50代くらいの男性が美味しい焼き鳥を焼いてくれる。
 店に着くと、もうKさんは来ていた。Kさんは芋焼酎のソーダ割りを飲んでいて、僕も同じものを頼んだ。特にそれが好きなわけではないし、もっと言うと酒はあまり好きでもないのだが、こういうのは通な人に合わせて頼んでおくととりあえず間違いないと僕は思っている。
 そして近況の話になる。Kさんの仕事の話から、最近、人々が皆余裕がなくなってきているということを話す。親たちは幼い子どもにたくさんの教育を施そうとやたらと奔走し、学校ではルールというものの束縛がどんどん強くなっている、と。行動とそれに伴う責任というものに対して、人々が感覚過敏になっているのかもしれないですね、と僕は言い、Kさんは昭和という時代のいい加減な人々のありようを懐かしげに話す。暴力と人情の時代。それは今の感性ではとうてい受け入れられないが、その時代の良くも悪くも規則とか道徳に関する社会通念が柔軟性を持っていた時代に少し憧れるような気もする。

 帰ってから、酒でぼんやりする頭でいまの時代とはどういうふうなのだろうと考えた。
 いまは貧相な時代なのかもしれないと思った。日本の経済的な苦境が、あらゆる面で人々の心の余裕を削いでいるのかもしれない。以前に駅のカフェに入ると、座席時間制限を指示されたことや、回転寿司屋でパットでの注文という、インターフェースの活用によって店側が客の注文をコントロールしてくるのを目にしたときのことをおもいだした。SNSでもそうだろう。誰かの行為が非難の的として拡散される。平成後期から令和へと繋がってゆく時代は、貧しさからくる殺伐さというものに覆われた時代なのかもしれないと思った。みんなこの世界からいかに脱出するかを考えている。FIREという言葉をよく聞くが、それは「上がる」という表現と近しい意味で使われる気がする。この苦しい火の海の時代から金を使って、エレベーターで安全圏へと抜け出してゆく。そんなイメージが湧く。誰もかれもいまの世の中で普通に生きることを普通に楽しいとはあまり思っていないような気がする。むしろこれが終わるのを耐えている、という感じさえある。勘違いだろうか。でも耐え続けることはなかなかできない。できない人も多くいる。僕にしたってそうかもしれない。この時代において、新たな豊かさを発見するとしたら、それはなんだろう。それを考えることは、おそらく今後さらに加速するこの貧しさに対抗してゆくためには多くの人にとってテーマとなる気がする。

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