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事件事件!『ジキル&ハイド』で描かれるヴィクトリア朝のロンドンとは

はじめに


 ミュージカル『ジキル&ハイド』の開幕おめでとうございます。
 ミュージカルファンからはミュージカル『ジャック・ザ・リッパ―』の事もありロンドンの治安が悪い…と噂になっておりますが、確かに『ジキル&ハイド』の設定で事件が起こったのは1888年となっており、これは『ジャック・ザ・リッパ―』と同時期の設定となっています。なお原作では『ジキル博士とハイド氏』が出版されたのは1886年であり、作中では「18××年」といったように年代がぼかされています。
 イギリス文学がお好きな方や柿澤勇人さんのファンはすでにピンと来られているかもしれませんが、シャーロック・ホームズシリーズが最初に発表されたのは1887年であり、『緋色の研究』は1881年に起こった事件と設定されています。『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』で描かれているのは1881年なので、なんとなくどういう時代か雰囲気がつかめるような気がしてきます。
 ちなみにシャーロック・ホームズシリーズで1888年に起こったことというと『ボヘミアの醜聞』事件があり、ワトソン氏がモースタン嬢と結婚したのがこの頃になります。作品は違いますが、この世界のどこかにシャーロックもいるのかもと考えるとなんだかわくわくしてきますね。
そんな「わくわく」してくるような時代。ヴィクトリア朝のロンドンとは、そして、この時代はまさにミュージカルの原作小説が多く発表された時代でもあります。
 そんな「わくわくする」ヴィクトリア朝について、自分なりにまとめてみようと思います。

ヴィクトリア朝と名作文学

 ヴィクトリア朝とはそもそも何かというとヴィクトリア女王(1819年~1901年)が即位した1837年から崩御する1901年を指します。最も英国が繁栄した時代と言われ、マンガやアニメの舞台になることも多いので聞いたことがある、知っている、好きだという方も多いと思います。
 そもそもヴィクトリア朝はというと、メアリー・シェリー(1797年~1851年)、チャールズ・ディケンズ(1812年~1870年)、シャーロッテ・ブロンテ(1816年~1855年)、ルイス・キャロル(1832年~1898年)、ロバート・ルイス・スティーブンソン(1850年~1894年)、アーサー・コナン・ドイル(1859年~1930年)などが作家として活躍し、名作を生み出した時代でありました。
 『フランケンシュタイン』『オリバー!』『ジェーン・エア』など最近再演されたミュージカル作品の原作はまさにこの時代に生まれました。
なお、メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を最初に出版したのは1818年、スティーブンソンが『ジキル博士とハイド氏』を出版したのは1886年、ドイルの『緋色の研究』が連載されたのは1887年でしたが、ヴィクトリア朝は科学が発達した時代でもあり、学問としての科学が一般的に評価されてきた時代でもありました。
確かに、フランケンシュタインが怪物を創造するのも、ジキル博士が己の欲望のため変身薬を開発したのも、ホームズが観察眼と科学知識を合わせた推理をするのも、SF的な面白さがありますね。

ルーシーがいた『どん底』の世界

『オリバー・ツイスト』の原作者であるディケンズはロンドンを愛した作家の一人でしたが、そんな彼が幼少期に住んだのがカムデン・タウンでした。
 『ジキル&ハイド』ではルーシーが生活している『どん底』がカムデン・タウンにある設定となっていますが、カムデン・タウンはもともと田園地帯でした。この地区は1810年代から開発が始まった新興住宅地で、運河や鉄道の建設により産業活動も盛んとなる一方、貧困層が住む地域でもあったようで、ディケンズの『クリスマス・キャロル』の登場人物であるクラチットがカムデン・タウンに住む設定なのはこれによるものとのことです。
 しかし、カムデン・タウンに限らず、当時のロンドンは貧富の差が非常に大きい場所でした。若い女性は生活苦から娼婦になる人が多く、1857年の記録によればロンドンだけで8万人の娼婦がいたとのことです。
 若い女性の自殺者の数も多かったようで、テムズ川に身を投げたとみられる溺死体をワッツという画家が描いた『発見された溺死者』という1848年頃の絵画も存在しています。こちらは『怖い絵』展でも展示されたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
 また、家庭や仕事を持っていても身体を壊して働けなくなって路上生活者となり、物乞いとなった人や、物乞いをする気力もなく座り込む『這いずり人』と呼ばれる人が1870年代には存在したようです。『ジキル&ハイド』にもところどころ物乞いと思われる人々や、『どん底』に無理やり連れてこられる若い女性が登場しますが、このような人々でも読み書きができたり、言葉つきがしっかりしていたりするようなので、どん底の生活を送るルーシーが名刺や手紙を読めるのも決して不思議なことではないのかもしれません。また、慈善事業家が貧しい家の子のために貧民学校と呼ばれる教育の場を設けることもあったので、貧しくとも学べる人は少なからず存在したようです。
 なお、『ジキル&ハイド』でジキルが住むハーレー・ストリートは高名な医師が住む高級住宅街であり現在も病院が多く並ぶ地区ではありますが、カムデン・タウンからは歩いていける距離ではあるので、『あんなひとが』を歌いながらルーシーがどういう気持ちでジキル邸から『どん底』に帰っていったのか、想像すると切ないものがあるような気がします。1幕最後に登場する『どん底』近くの路地裏が倉庫街のようになっているようなので、もしかしたら『どん底』はリージェンツ運河の近くにあったのかもしれません。また、運河の近くには当時、材木置き場や工場があったようなので、ハイドが潜んでいたのはこういった裏路地だったのかもしれませんね。

事件事件!ヴィクトリア朝の犯罪と新聞

 『ジャック・ザ・リッパ―』や『ジキル&ハイド』で街の人たちが読んでいる新聞ですが、新聞にも今と変わらず種類があり、上流階級向けの『クォリティペーパー』もあれば、劇中で「事件事件!」と売られているような大衆紙もありました。大衆紙は絵入りで、事件が起こるとすぐに新聞社はイラストレーターと記者を派遣し、取材させ、すぐに新聞社で清書をしてから印刷し、翌日には街頭で販売していました。ニュースはゴシップや殺人事件、海外の面白ニュース(なんと日本のことをネタにした記事も)など多岐にわたっていました。
 ロンドンは人口300万人を抱える大都市であり、様々な階級の人が暮らす場所でしたが、犯罪もとても多い場所でした。1880年にはロンドン警視庁の管轄地域において2万3,000件以上の強盗、放火、殺人などの重犯罪が報告されており、1万3,000人以上が重罪犯として逮捕されたとのことです。警察組織に対する一般大衆の注目も高く、それに伴って警察や探偵が登場する小説が流行となりました。その中の一つが『シャーロック・ホームズ』のシリーズでした。

『ジャック・ザ・リッパ―』と『ジキルとハイド』の意外なつながり

 『ジキル博士とハイド氏』は1886年に出版された後にマンスフィールドという俳優の翻案により舞台化され、マンスフィールドがジキルとハイドを演じました。
 当初は成功といえない興業ではありましたが、1888年に切り裂きジャック事件が起こると、「ジキルとハイドの二役を演じたマンスフィールドは別人に成りすまして殺人を犯せるのでは?」との疑惑が起こります。切り裂きジャック事件の容疑者として名前が挙がった人は様々ですが、当時のロンドンにも役と役者を切り離せない人がいたようです。

おわりに

いかがでしたでしょうか?
ヴィクトリア朝は芸術面でも英国文化が花開いた一方で、貧困、スラム街の誕生など様々な面があり、とても奥が深い時代だと思います。
やはりミステリマニアとしてはシャーロック・ホームズですし、ゴシック小説マニアとしてはメアリー・シェリーの生きた時代というイメージが強いです。そしてミュージカルファンとしては『ジキル&ハイド』となかなか面白い時代だと思います。
そんなヴィクトリア朝を少しでも紹介できたら幸いです。

参考文献

『魅惑のヴィクトリア朝 アリスとホームズの英国文化』(新井潤美著、NHK出版)
『写真で見るヴィクトリア朝ロンドンの都市と生活』(アレックス・ワーナー、トニー・ウィリアムズ著、松尾恭子訳、原書房)
『写真と文によるヴィクトリア朝ロンドンの街頭生活』(ジョン・トムソン、アドルフィ・スミス著、梅宮創造訳、アティーナ・プレス)
『19世紀絵入り新聞が伝えるヴィクトリア朝珍事件簿 猟奇事件から幽霊譚まで』(レナード・ダヴリース著、仁賀克雄訳、原書房)
『怖い絵展』(産経新聞社)


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