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「契約法の勉強に役立つね!」~スリル・ミーの『契約』に対する考察~

はじめに


2021年にスリル・ミーを初めて観た時「そういえば英米法って日本の契約法とかなり違うのでは?」と思ったのがきっかけで、色々と個人的に調べてぷらいべったーに格納していたのですが、今回の記事はその加筆修正版となります。法学部卒とはいえ専門的な知識はさほどないミュージカルオタクが調べたもののため、だいたいそんなものなのかとゆるく思っていただければ幸いです。
なお、参考とした資料は『アメリカ法入門・総論(木下毅著)』『ニューヨーク州弁護士が教える英文契約書の基礎(松崎謙著)』『入門アメリカ法 第4版(丸山英ニ著)』『最終弁論―歴史的裁判の勝訴を決めた説得術(マイケル・S・リーフ他著、藤沢邦子訳)』

当時のアメリカの法曹界について

作中のレイとリチャードは大学院で法律を学ぶ学生とぼかした表現をされていますが、そもそも日本とアメリカの法曹制度が大きく違うので、ロー・スクールの学生か、もしくは入学予定なのだと思われます。なお、ロー・スクールは法曹養成のための専門職大学院で、日本では法科大学院とも訳されていますね。
ただ、レイとリチャードの劇中の描写や、日本版が固有名詞を出さない作りのため、実在のレオポルドとローブ事件とは離して考えた方がよさそうです。しかし、当時のロー・スクールの入学資格要件は最低でも2年間の学部課程を修了していることだそうなので、二人とも飛び級した天才少年というのはそのまま抑えていてもよさそう。ちなみに実在のレオポルドはシカゴ大学の最年少卒業者、ローブはミシガン大学の最年少卒業者とのこと。ハーバード大やイェール大では1年の必修に契約法があるらしいので「契約法の勉強に役立つね!」というセリフがとても学生らしく聞こえます。(ケーススタディ主要な授業のため)
現在のようなロー・スクールが誕生したのが1870年、そこから一気にロー・スクールが増えて1900年には100校を越え、1935年には200校弱まで増えたとの事で、二人が生きた時代というのは、法曹人口が一気に増えて、法律というものが一般市民にも広がっていった時代とも言えそう。
訴訟大国アメリカとよく言われますが、アメリカは弁護士という職業が日本以上に身近らしく、上流階級の家庭でなくても主治医にかかるような感覚で、遺言の管理や税金なんかの相談をする各ご家庭で決まった弁護士がいるそうです。一方で法曹人口過剰な事もあり、弁護士の質の差が激しいという側面があるそうです。なんという弁護士ガチャ…

『彼』が憧れた弁護士とは

作中では語られなかったレイとリチャードを弁護した弁護士についてですが、実際の事件を担当したのは、死刑廃止論者であり、公民権訴訟などで当時有名だったクラレンス・ダロウという弁護士でした。
実際のダロウは二人の犯罪を有罪と認めることで死刑判決を回避したため、作中の彼がダロウ氏のような弁護士を目指していたと護送車の中でレイに語るというのもちょっと色々と意味がありそうですね。

日米の法律の違いについて

日本とアメリカの契約法の違いを考えると成り立ちから説明しないといけなくなってしまうのですが、要はアメリカでの契約には当事者間の意思の他に「約因」というものが必要になります。約因とは聞きなれない法律用語ですが、当事者間に存在する取引上の損失や当事者間の譲歩の交換を意味します。
そのため、劇中でいう契約とは、お互いが何かを「してあげる」という意味で考えた方が良さそうです。レイが「なんでも『してあげるね』」と言っているのはそういう事なのかなと。
『契約書(その2)』の歌詞に「義務と要求」とあるので、この歌詞はそういった「約因」の意味を汲んでの和訳だったのかなとも思います。
この二人の場合はお互いが「相手の要請に従う」と言っているので、相手の要請に従うという「損失」を交換して契約を成立させているということになります。
それを踏まえて『僕と組んで』の場面では彼が司法取引の中止を「要請」したけれど、二人の契約としては次にレイの「要請」を彼は叶えなければならない…とするとあの場面でそれぞれのレイが三者三様に「彼を手に入れた」と確信したような素振りをするのが凄く納得できるような気がします。「99年離さない」がとても意味深だし、「ちゃんと契約したよね?」とブチ切れるレイは「重大な契約違反に伴う契約解除の要求をしている」と考えるとなんだかとても現実的に…。そもそも日米ともに公共の福祉に反する契約は無効なので、この二人の『契約』はお互いを縛るためだけに存在するのですが。
余談ですが、アメリカの判例集を読んでたいら同性愛行為で起訴される判例が普通に出てきて、いやこれはあまりにも日本と感覚が違いすぎないか?と驚いたので、新納さん曰く新納リチャードもレイを愛していたというにろまりペアだと二人が結ばれるには当時のアメリカはあまりにもハードルが高すぎないかなと思いました。
にろまりペアのメリバ、もしくはハッピーエンド感はここから来るのかなと。

おわりに

3ペアが契約についてどう考えていたのか色々と考えていたのですが、3ペアとも関係性が違いすぎるため、三者三様の考えがあって契約をしたのかなと思いながら調べてみました。またいつかスリル・ミーが日本で観られるように願って…

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