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「最後の医者は 桜を見上げて 君を想う」を読んで思う医療従事者の役割

「最後の医者は 桜を見上げて 君を想う」二宮 敦人
 この作者はまるで、医療従事者ではないかと思うくらい、医療の描写が細かく、リアルに描かれていた。また、「死」に直面した患者家族の心情の描き方も丁寧だ。医療従事者にも、そうでない人にもぜひ読んでほしいおすすめの本。読みやすいので、一気に読むことができ、読み終わったあとにいかに生きるのか、いかに自分らしく死ぬのかを、考える作品だ。
 
 内容は、まさしく私が現在外科病棟で起こっていることが描かれていた。
今の時代、医師は、患者・家族に対してエビデンスに基づく情報を丁寧に伝えている。病状説明に同席していても、私が看護師になったばかりの20年近く前とは医師の説明の仕方や態度は変わってきていると思う。
その結果、患者や家族は、その説明を聞き、自分で咀嚼しながら、どの治療を行うのか、あるいは治療を行わないのか、という選択を常に迫られる。仮に医師がそこまではっきり伝えなかったとしても、自分でネットから情報を収集することができるので、自分の病期の転移の確率、5年生存率は何%なのか、どの治療を行うとその割合はどうなるのかが目に入ってくる。
 
 でも、たとえ5年生存率が90%だとしても、結局、自分にとっては「生」か「死」かしかない。90%であれば、治療に踏み入れやすいが、50%程度の場合、その治療の副作用によってどうするか、選択が難しい。現実には、「一緒に頑張りましょう。」と安易に言うような医師はほとんど見たことがないが、結局苦しい化学療法を行うのも、治療と仕事を両立させるのも、患者さんだ。選択するのが自分だからこそ、悩むし、不安になる。そして、その結果がうまくいかなかった場合、その選択を選んだ自分、勧めた家族がまた悩み苦しむ様子もみてきた。
 
 この本を読んで改めて思ったが、外科病棟、外来看護師の役割の一つがこの治療を選択したあとの、患者・家族の精神的ケアなのかもしれない。
 
 選択する際の、医師からの情報提供はスタートであり、一番大切なことだ。でも、患者さんやそこに寄り添う家族は、その選択の先の人生を病気とともに歩いていく。だから、その選択をした患者・家族が頑張り続ける様子をそっと見続け、苦しい思いを吐露したいときに受け止められるような人間関係を構築していることが、看護師には必要なのだろうと思った。
 

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