見出し画像

先住者が消えた

 日本の南のほうから北の豪雪地帯へ、仕事の転勤で引っ越しした。

 生まれてはじめての北国。毎日毎日雪が降る。そして寒い。
我が家には引っ越し当初から先住者がいたらしい。
 当時は夫婦2人と猫2匹で賃貸の一軒家に入居。その直後から誰もいないはずの2階でピシッ!パンッ!カツン!ドン!と床に固いものを落としたような、明らかに人為的な物音が昼夜問わず断続的に聞こえてくるのに気付いた。しかしそれも引っ越しの荷物をほどいたり、足りないものを買い足しているうちにいつのまにか忘れてしまった。

 引っ越しから3週間後、旦那が東京での3ヶ月研修へ出発し、新居に自分と猫2匹が残された。するとまた、あのおかしな物音が2階から聞こえてくることに気づいた。
 しばらくして飼い猫2匹がおかしくなった。顔をくっつけて寝るほど仲良しだったのに、顔を合わせるたび取っ組み合いのケンカをするようになったのだ。それもじゃれ合いではなく本気の殺し合いで大ケガを負うようなケンカを繰り返すようになってしまったので、隔離スペースを作って時間交代で入れ替えるようにした。引っ越しによる環境変化のストレスかと思ったが、直感的になにかが違うと感じた。

 次に自分がおかしくなった。急激に食欲がおちて夜も眠れなくなり、時間の感覚があやふやになった。何の前触れもなく頭の中がモヤモヤしたり、頭の前頭部からおかしなイメージ映像や感覚的な何かが潜り込んでくるのを感じるようになっていた。ある日、気づいたら丸3日間経っており、その間の記憶がほとんどなく、食事どころかシャワーも浴びていない状態になっていた。そこでやっとおかしいことに気づいて病院へ行った。
 睡眠導入剤を処方してもらい、丸1日眠ったらだいぶ頭がスッキリした。
そしてまたあの物音が聞こえてきた。


 不動産屋はなにも言っていなかったけど、もしかしたら幽霊屋敷を引き当ててしまったのかもしれないと思い、恐る恐る2階に上がった。当然、誰もいない。そのときわたしの真後ろでパンッ!と音がした。とっさに振り返ったが誰もいないし、なにもない。

 あきらめとともに猛烈な怒りが沸き上がってきて・・・。
2階のドアというドア、窓という窓をすべて全開にした。クローゼットもトイレの窓も開け放った。そしてバケツにペット用消臭液とファブリーズの緑茶香を1本づつ流し入れて水を足した。そこに雑巾を入れてしぼり、脚立を持ってきて2階の天井、蛍光灯、壁、窓、窓枠、クローゼット、押し入れ、床、ドア、階段、手すりなどを拭き上げた。陽気なラテン音楽をかけてボリュームを最大にして、自分も大声で歌いながら室内の平面という平面をぜんぶ拭き上げたあと、あらためてファブリーズを天井から床まで徹底的に吹き付けた。そこまでやってから気づいた。入居してから2階の窓を1度も開けていなかったことを・・・。

 引っ越し当初は3月中旬で雪が降っていた。つまり寒かったので窓を開けることがなかったのだ。私たちが引っ越してくる前は1~2年ほど空き家で、不動産屋が1年に1回換気する以外、だれもこの家に立ち入らなかったそうだ。さらに換気といっても10~15分程度、窓を開けるだけ。

 なるほどね、そりゃぁ悪い気が溜まっていてもおかしくないわ。
2階を徹底的に掃除したあと、すべての窓を開け放ったまま3時間近く放置した。次の日からおかしな物音がほとんどしなくなった。頭の中にへんなイメージが流れ込んでこなくなってスッキリした。夜もきちんと熟睡できるようになったし、1週間後には食欲も戻った。そして1か月もすると猫2匹が落ち着いてきてケンカをしなくなった。

 なにかの本に、室内の幽霊はファブリーズで除霊できると書いてあったような気がする。引っ越し先の物件に先住者がいた場合はお神酒や除霊儀式で清めるのが良いと言われているらしい。今回は先住者がいるかいないか分からなかったので、ファブリーズ清掃で強制退去してもらった。
 もしもファブリーズが効かなかった場合は最終手段として、スッポンポンになって自分で自分のオシリを叩きながら100%全開の笑顔で
「びっくりするほどユートピアァァ!!」
と、何度も何度も叫びながら家の中を練り歩いていただろう。
 これをやると先住者は(コイツにはかなわない)と降参して出て行ってくれるらしい。さすがにユートピア攻撃は人としての何かを失ってしまいそうだったので、ファブリーズ掃除だけで落ち着いて良かった。

 そんなことがあってから半年後、気づいてしまった。無害な何かがいることに。それは虫ではない。動物でもない。目に見える実体を持っておらず、でもそこに『居る』とハッキリ感じとれる。おそらく「それ」になるまえは人間だったのではないだろうか?
 どうやら2階の和室のクローゼットを自分のテリトリーとしているようだ。
 和室のクローゼットのドアが折り畳み式の観音開きで、いつも左側だけをあけておかなくてはならない。ここが閉じていると「それ」が猫をつかって開けろと要求してくる。飼い猫が左側の扉の前に、後ろ脚だけで立ち上がって両前足ではげしく扉をひっかきながら大声で鳴くのだ。仕方なく開けると飼い猫は何事もなかったかのように立ち去ってしまう。開けろと要求するくせに開けてやると入らないのだ。同じ2階にある洋室のクローゼットには平気で入るのに、和室のクローゼットには絶対に入らないのが不思議である。
 

 昼間はおとなしいのに、夜中になると「それ」は家の1階を徘徊する。
我が家では、冬季はストーブの都合で1階の広いリビングに布団を敷いて寝ているが「それ」は真夜中に2階から降りてくるのだ。けっこう自己顕示欲が強いらしく、お風呂場の方へ行くときは廊下の壁をトトトトトトトと小さく連続で叩いて移動してますアピールをしてくる。リビングに来るとストーブの金属製の柵をチーンと叩いて、来たよ~♪とアピールする。そこでわたしが
「はいはい、おやすみ。」
と、声をかけるとスィーと2階へ戻っていくのだ。
 さすがに2年目は慣れたので、眠くて面倒臭い時は無視するときもある。
だが、無視すると枕元まで来て、こちらの顔をのぞきこんで不満そうな雰囲気を出すのだ。しばらくすると諦めて2階へ帰っていく。
 自分で書いていながらおかしな話だと思うけど、「それ」は目に見えてるわけじゃないの。見えてないのに不満そうなのが分かるのが不思議なのよ。
まぁ、家人に危害を加えるわけじゃなさそうだし、飼い猫たちも「それ」の存在を認めて和室のクローゼットには入らないようにしているし、とくに問題なく生活してきたわけさ。そして3年目は近所で拾った子猫の世話に追われて「それ」なんかどうでもよくなっていたのさ。

 生後1週間足らずで拾った子猫の昼夜問わず3時間おきのミルクやトイレがこんなに大変だったとは。しばらくして離乳食を食べるようになると足腰がしっかりして好奇心旺盛になり、わずか5cmほどのスキマがあればどこにでも潜り込んでしまうので目が離せない。なんにでも興味を持ち、生えてきた小さな歯でどんな物にでも齧りつくのでティッシュの紙箱や紙製の爪研ぎ台のはじっこは歯型だらけになった。
 そのうちに物を咥えた状態で首をブンブン振る力がついたのか、畳んでおいたタオルやテーブルに置いた新聞など咥えられる物はなんでも咥えて引きずり回すようになった。
 室内をメチャクチャにする悪魔の世話に追われたせいか、その年はまったく「それ」の気配を感じなかった。もしかしていつのまにか成仏したのかもしれない。


 成仏して生まれ変わってきちゃったのかもしれない。
なぜなら怖いもの知らずの子猫が2階和室のクローゼットに入っていたから。いつのまにかクローゼットの奥を秘密の隠れ家にして出入りしていた。子猫につられて先住猫2匹も和室のクローゼットに出入りするようになっているじゃないか。どうして気づかなかったんだ?
 「それ」は子猫に縄張りを奪われて追い出されてしまったのかもしれない。いやいや、もっと深入りするなら先住者が子猫になって我が家へ来たのかもしれない。
 子猫という実体を手に入れて、ちゃっかり縄張りを確保しつつ、おいしいご飯と温かい寝床、優しいお兄ちゃん猫、お姉ちゃん猫、おやつをくれる飼い主をゲットしにきたのかもしれない。


 考えても仕方ないことなので考えないようにしているけど、なんとなくそんな気がしてしょうがない。真夜中に
「こんばんわ~♪」
と、朗らかな雰囲気であいさつに来ていた先住者はどこへ行ってしまったのだろうか? 世の中には知らなくても良いことがたくさんあるらしいから、あまり深く考えないほうが良いのかもしれない。

                         おわり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?