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悩むことに疲れた。一旦外に出てみよう。

丸2日間、家にこもっていた。
今朝、幼稚園時代の幼馴染からLINEで桜の写真が送られてきた。
早朝散歩に出たらしい。
幼馴染は今、家庭の事情により家族と離れて一人で暮らしている。
精神的に辛い状況の中、何とか気持ちを支えながら日々を過ごしている。
そんな幼馴染からの写真に、じんわりと元気づけられた。
「私も明日行ってみます!」と返信した。

この一か月ほど、YouTubeにどっぷりハマる生活をしてきた。
「今はこれでいい」と自分を納得させ、気の済むまで好きなように過ごそうと決めていた。
その気持ちが、数日前から少しづつ変化してきていることを感じている。

朝食を採りながら、昨晩ふと目に入ったYouTubeのHSP向け動画を観ていた。
その内容にはこれまで知識として知っていたことも多く含まれていたのだが、その受け取り方・感じ方が今までと何か違う。
内容がスッと心に入ってくる。「素直」に聞けるようになっている。
今までは頭で納得して分かったつもりになり、そこで止まったまま動こうとしなかった。
「そんなの分かってるよ。でもできないんだよ。」そんないらだちがいつもベースにあった気がする。
そしてそのいらだちさえきちんと感じることをせず、「自分のもの」であるはずの感情を遠ざけてしまっていたのだ。

この数日の間の変化なのだろうか。
頭の理解をブレーキにして遠ざけていた感情が、ゆっくりと手元に戻ってきている感覚がある。
分かっている、でもできない、焦る、怖い・・・
それらの「かっこ悪い」感覚をゆっくり、優しく、感じてみる。
その結果、他人からのアドバイスを素直に聞ける余裕のようなものが生まれている。

今朝観た動画は「スマホ依存への対処法」をテーマにしたものだった。
その中で「画面をグレースケールにする」という方法があり、早速やってみた。
これは私にとっては大きなこと。
どうしても深く複雑に考えてしまい、頭で納得しないと先に進めないところがある私は、このような小さなアドバイスの効果を疑ってしまって手を付けずに終わってしまい、何もせずに悶々とする日々が続く・・・というパターンを繰り返してきた。
何かをやってみても、それに対して自分が感じていることを「実感」できない状態だったがゆえに、「やっても何も変わらない」と思い込んでいたのかもしれない。
「行動すること」が、ただのポーズになってしまっていたように思う。

「悩み抜き、考え抜いて答えを見つけたい」
そんな思い込みに囚われていたことに気づいた。
一旦、外に出てみよう。
「小さな行動」の効果をあれこれ「考えて」過大な期待を寄せるのではなく、ただやってみる。それだけ。

きょうは図書館に本を借りに行く。
それから、豆乳とバナナとヨーグルトを買う。
明日は久しぶりに早起きして、近所の桜並木の下を歩いてみる。
雨が降らないことを願って。

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