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新しい職場で、もうすぐ1年。きょうの私。

約8か月の無職生活を経てようやく手にすることができた今の仕事に就いて、もうすぐ1年になる。
1年前のきょうは、仕事が決まった喜びと安堵、そして、小さくはない不安を感じながら過ごしていた。
その1年後のきょうの私。

大小の荒波をかぶり続け、溺れかけて沈みそうになりながらも何とか浮き上がって、「泳ぐ」というよりもがき続けてきた。
少しでも前に進めるように、少しでも良い状態になれるように。
ここ数年で短期記憶力が極端に低下したようで、日々のミスや指摘されたことは1度や2度では記憶に定着させることができない。
なので、それらの出来事や気づいたことをその場でメモして毎朝晩見直し、版画のように頭に刷り込んだ。
仕事は基本的にルーティンなので、覚えてしまえば体が勝手に動くレベルの内容だとは思う。
私でない人なら、もっと簡単に、もっと楽にやれるのかもしれない。
でも、私にとっては限界を超えるか超えないかの状態である。
手元のマイボトルに手を伸ばすことさえためらわれる。
お昼以降は退社時間までトイレに行けない。
1分どころか1秒たりともムダにできないと思いながら必死で目の前のことをこなす。
その間にひっきりなしに鳴る電話。
それを取るのは私と事務のベテラン女性の実質2人だった。
そこに、新入社員の女の子が4月から加わった。

それまでは、他に事務の男性が一人いた。
その方は事故による軽い高次脳機能障害を抱えており、複雑なやりとりを苦手としていたので、電話は他に人がいない時以外はほとんど出なかった。
その方とベテラン女性はとても仲が良く、仕事の合間に雑談をしては楽しそうに笑いあっていた。
男性は誰にでも友好的で私に対してもいつも優しかったが、ベテラン女性はその男性とのやりとりの直後であっても、文字通り手のひらを返すように私への応対の態度を変える。
それはその男性とのやりとりの時だけでなく、私以外の全ての人の時も同じだった。
そこに新人の子が加わり、ベテラン女性はその子をとても可愛がっている。

その子は真面目で素直で積極的で気が利いて、仕事も着実に覚えていっている。
離れて暮らす私の娘と同い年なのに、私が心理的に頼りたくなるようなしっかりしたタフな面も持っている。
そして、彼女からすれば自分の母親と同年代のおばさんが目の前で叱られているのを毎日のように見せられているのである。
入社してまだ日も浅く、いろいろなところで神経を遣っているであろう彼女がどんな気持ちでいるのだろうと思いながら、その子と話をする時間はほとんどなかった。

そんな中、たまたまお昼休憩を同時に取ることになった日があった。
普段は女の子とベテラン女性が同時に取り、私はその後に取るのだが、その日は仕事の進捗の都合で私が最初に休憩室に入っていた。
休憩室として使用している部屋は2か所あり、女の子とベテラン女性はそれぞれ別の部屋で過ごしていたらしいのだが、その日彼女はいつもの部屋ではなく、私とベテラン女性が使っている部屋にやってきた。
通勤時の交通の便が悪くて苦労していることや、広げているお弁当はお母さんが作ってくれたということ、食べることが大好きだということなど、柔らかい話を一通り聞いたところで私の休憩時間が終わりに近づいた。
私はそれまで伝えたかったことを彼女に言った。
「○○さんは本当によく頑張っているよね。覚えもいいし、すごいと思う。
私は、見ていて分かると思うけど、出来ないことも多いし教え方もあまりうまくなくて申し訳ないと思っているの。」
すると、彼女は私に向き直り、私の目をまっすぐに見てこう言ってくれた。
「みまりいさんの教え方、めっちゃ分かりやすいです。」
その後、言葉を濁しながら、ベテラン女性の説明はやや分かりにくいという意味のことを控えめに話してくれた。
とても短いやりとりだったけれど、心がじんわりと温められていく気がした。

業種柄、始業から3時間程度が1日の中で一番忙しい。
その時間に教えなければならないことがいろいろあるのだが、表面的な手順を教えるのが精一杯で、なぜそうするのか、その業務の背景まで一気に同時に教えるのは不可能である。
私自身、手順だけを教えられてそれをこなすのに必死で他の業務とのつながりまで分からず、とんちんかんなことをして叱られるということを繰り返した。
ベテラン女性からすれば、1教えればその先は自然と分かるだろうというレベルの内容だったのかもしれないが、初めに深い部分まで聞いて理解したい私にはとても難しいことだった。
業務の慌ただしさと共にベテラン女性の醸し出す雰囲気に押され、質問したくてもそれができない状況だったため、新人さんには毎日少しずつ繰り返して丁寧に教えたいと思っていた。
その気持ちが少しは伝わっていたのだと、素直に嬉しかった。

仕事中は、彼女とベテラン女性は軽い雑談などをすることもよくある。
私がそこに加わることはほぼない。
けれどそのお昼休憩依頼、雑談こそできないものの、彼女と私との間の目や頷きだけのやりとりに少しだけ深みが加わったような気がしている。

ベテラン女性からは毎日のように何度もキツイ言葉を投げつけられる。
無視や意地悪こそされないものの、呼びかけても声を出して返事をしてくれることはなく、それどころか眉間に深い皺を寄せてこちらを半分だけ見る。
ベテラン女性が最も嫌悪しているのは、私がミスをすることではなく、要領の悪さなのだと思っている。
それだけのことだ。と、思っていた。
でも、もうひとつ、指摘されてハッとしたことがあった。

私は要領の悪さ・動作の遅さを自覚している分、少しでも早く動こうと常に焦っている。
そのため、書類に書いてあることや人の話を落ち着いて十分に理解せずに行動してしまい、失敗することがとても多い。
後になれば簡単に気づけることだったと分かるのに、「その場」ではどうしても視野が狭くなってしまう。
この間も、私がベテラン女性に質問しながら途中で気づいて彼女の説明を遮って行動してしまったことがあった。
彼女は本当に気分を害した表情で「(自分から)質問してくるんだから、相手が何を言いたいのかをしっかり聞きなよ。」と言った。

そうだった。
以前にも指摘されたことがあったのに、毎日叱られないようにと必死になるあまり、一番大切な部分を取りこぼしていたのだ。
要領の悪さと動作の遅さは、これ以上はどんなに頑張っても良くならないと思う。
でも、落ち着いて書類を読む、全体をよく見る、相手の話をきちんと聞く、それらのことはまだ努力する余地がある。
とはいえ、私にとって最も難しいのが「落ち着く」ということ。
四方八方に神経を張り巡らさなければならない今の職場環境・仕事は、本当は私の能力の限界を超えていると思っている。
そこにしがみつくようにして頑張り続けることは、自分にとっても周囲にとってもメリットがないのではと何度も考えた。
けれど、そんな日々を過ごす中でも、新人の子とのやりとりに励まされることもある。
ベテラン女性からのキツイ言葉の中にもハッとする気づきを見つけることもある。
それ以外にも、社員さんの机に置いたメモの字がとてもきれいで読みやすいと言ってもらえたり(これに関してはベテラン女性から「そんなに丁寧に書く必要はない。そんな時間はない」と注意された)、上司の方の理解やサポートにも支えられている。

これまで、ベテラン女性の対応が原因で辞めていった人が何人もいるという話を聞いた。
それが本当かどうかは分からないけれど、私に仕事を引き継いで退職した女の子も、抜群に仕事が出来たにも関わらず理不尽な対応をされて泣いたことがあると後から教えてくれた。
私がこの職場に来てからそのような対応をされているのは私だけなので、自分に100%非があるのだと思ってきたけれど、周りの人の話を聞く機会が少しでもあると、自分の思い込みの一部に気づくきっかけをもらえると感じた。
先のメモの話も、上司と社員さんと私の4人で食事をする機会を頂いたときに社員さんたちが伝えてくれたことだった。
仕事の状況にもよるけれど、こういうことはベテラン女性の目を気にしすぎずに、出来る範囲で大切にしていいことなのだと思えた。
見ていてくれる人は確かにいる。

こう思える日もあれば、求人サイトでなかば本気の職探しを始めたりする日もある。
そうこうしているうちに副業の家事代行が忙しくなり、そちらに気を取られて本業のことが頭から抜けていたり。
そんな日々を過ごしてきた、きょうの私を支えている1つの考えがある。

「落ち着いて、今の私が感じていること、目に見えているもの、聞こえていることを、私のペースでゆっくり丁寧に消化・吸収していくこと」
相変わらず時間はかかるだろうし(むしろさらにかかるかも)、失敗も叱責もなくなることはないだろう。
けれど、感じたこと、見聞きしたことを丁寧に「自分のもの」にしていくことを大切にすれば、何かが変わるのではと思える。

周りのペースに合わせよう、ついていこうと焦るあまり、自分の感覚を置き去りにして走り続けてきた。
だからこそ辛かったのだし、うまくいかないことが多かったのだろう。
そのような努力の方向性を、ほぼ180度転換させるようなものだと思う。
周りに合わせてしまうのはほとんど条件反射的な行動なので、文字通り日々の一瞬一瞬に気づくように意識していこう。

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