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「過去を乗り越えること」と「過去に囚われること」をはき違える

今回からは「過去に体験した出来事を振り返り、『そのとき本当に感じていたこと』を思い出して改めて自分のものにする」という作業をしていこうと思っていた。
でも、いざやり始めてみると、とてつもない痛みが襲ってくる恐怖を感じて後ずさりしてしまった。

この痛みをしっかり引き受けることで今度こそ先に進みたい、そう決心したはずなのに、またしてもこんなに簡単にくじけてしまうのか。
この決心もまた、私の「本気」ではなかったのか。
抜けられそうだと思った暗闇の中に、また潜ってしまった。

私は普段はほとんどテレビを観ないのだが、自分の考えの中で迷子になってしまったときはテレビをつけてみる。
今朝たまたま出会ったその番組に私はすっかり見入ってしまい、ボロボロ泣いてしまった。

それは、一昨年の豪雨で大きな被害を受けた地域での鉄道復興の物語だった。※熊本市・くま川鉄道
鉄道会社の社長さんが、無残に押し流された線路を前にしてもう一度立ち上がろうと決意したその表情はとても穏やかで優しく、そして強かった。
その後、社員の皆様や協力会社の方々と共に再建の道のりを一歩ずつ進んでいく。
そして一部運行再開を目前にした試運転当日、公的な告知をしていなかったにも関わらず、沿線にはたくさんの方々が笑顔で大きく手を振る姿があった。
ガードレールの上からやっと顔を出して旗を振っている、近所の保育園(幼稚園)から来たであろう子供たち。
農作業中の手を止めて両手を挙げているご夫婦。
家の中から半身を乗り出してガッツポーズをしているお年寄り。
ひとりひとりがそれぞれ違う場所から同じ喜びを表しているその姿に、思いがけず心を揺さぶられている自分がいた。

私は、過去を乗り越えるための取り組みを始めたつもりだった。
それは自分がこれから生きていく上で必須の課題だと思っていた。
でも、それは言い換えれば「過去に囚われているだけ」なのではないか?
「過去を捉えなおして自分の中にきちんと収める作業」が終わるまでは本当の自分を生きているとは言えない。
そう決めつけているだけなのではないか?

心の病を再発した女性の言葉や一時的にハマった占いにも「囚われた」状態だったのかもしれない。
「好きな人と好きなことをして生きていこう」「お金のために身を削って働くような生き方はもうやめよう」
そんな熱いメッセージを受け取り、私もそういう生き方への憧れを持った。そして、それを実現する勇気と行動を起こ「さなければならない」。
辛いと感じることはやってはいけない。
好きなこと以外はしてはいけない。
自分を幸せに導くはずの「憧れ」が、いつしか自分の行動を縛る「重い義務」のようなものに変わってしまっていた。

テレビで観た人たちの光景と自分の中の何が繋がったのか、うまく説明できない。
けれど、真っ暗だった部屋のカーテンがふいに開いて、柔らかい日差しが入ってきたような感覚になった。

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