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本業&副業・10連勤、無事終了。

3月、早朝のお花見散歩をしていた桜並木。
10日ぶりの休日となった今日、その道を久しぶりに歩いた。
漠然とした将来への不安をやんわりなだめすかしながら過ごしていた日々がわずか2か月前だったことに気づいてちょっと驚いた。
きょうの並木道は濃い緑色の葉っぱがわさわさと生い茂り、大きな日陰が連なっていた。
桜が散った頃から忙しくなり、目の前のことを必死でこなす日々を過ごしていたら、いつの間にか、季節が進んでいた。

フルタイムの仕事が始まると同時に副業の家事代行の予定がぽつぽつと入るようになり、この半月ほどはスケジュールのやりくりに四苦八苦していた。
もともと体力がある方ではなく、疲れを自覚するのも時間差があるので、「まだ大丈夫」と過信して突然の電池切れのような状態にならないように気をつけていた。
少なくとも週一の休みは確保しようと思っていたのだが、スケジュールのコントロールがうまくできず、この10日間は休みなしとなってしまった。

この10日間の間に2件の家事代行があったが、ありがたいことにどちらのお客様とも気持ちの良いやりとりができていたので、体力的な負担こそあったものの精神的には満たされるお仕事をさせて頂けた。
フルタイムの勤務先でも、毎日のように同じミスを繰り返して恐縮しまくる私を辛抱強く教えてくれる2人の先輩(内1人は20代)のおかげで、体は多少きつくても「辛い」と思わずに済んだ。

そう。
この3週間ほどの間、忙しくても疲れていても「辛い」と感じない状態だったのである。
新しい仕事に少しづつ慣れ、職場の方々とも徐々に馴染んできて「今のところはうまくやれている気がする」と感じていた。
途切れずに依頼が来る家事代行も、昨年から半年以上かけて取り組んできた副業として何とか回せる状態になったんだという実感があり、とても嬉しくありがたいと感じていた。
そんな「理想的な状態」にある自分が嬉しかった。
その状態のままでいたいと思っていた。

何となく「もやもやした感じ」がし始めたのはいつ頃からだっただろうか。
職場の人間関係の構図が少しづつ見え始め、自分があるべき立ち位置を自然と意識するようになっていた。

私はいわゆる「できないタイプ」なので、周りの人に対して最大限の気遣いをすることが自分にできるせめてもの努力だと思っている。
それが全ての人に受け入れられるわけではないことも分かっているし、それが「できない」ことの免罪符にならないことも承知している。
それでも、「分かってくれている、受け入れてくれている」と感じるごく一部の人の存在があることに支えられ、努力を続けることができると感じている。

今の私にとって一番大切なのは「仕事を続けること」。
どんなに時間がかかっても、どんなに苦労しても、どんなに失敗しても、続けていくこと。
人間関係も、100%良好なものでなくてもいいから「理解してくれる人」を大切にすること。
評価されないことがあっても、嫌われることがあっても、そこに気を取られずにただ仕事を続けること。
これは「しがみつく」という感じではなく、「仕事があってありがたい」という「50代・無職生活」を経験したことによる気持ちがベースにある。
この気持ちを持っていれば、少し前までの自分のように小さなことでクヨクヨせずにいられるだろうと思っていた。

けれど、周りの人とコミュニケーションを取れば取るほど「合う」「合わない」が浮き彫りになり、嬉しいと思うことも悲しいと思うことも増えてきた。

入社当初から細々と気にかけてくれていると感じる人がいたり。
いろいろな話をする時間が持てて良かったと思っていたらその直後からなぜかよそよそしくされていると感じたり。
親しくなれそうだと感じた人が複数いても、その人達の関係があまり良くないことが分かり戸惑ってしまったり。

それらの状況の中で自分はどう振る舞うべきなのか、そのことで頭がいっぱいになっている時間も少なくない。
相手の反応を注意深く観察して一喜一憂してしまう自分が未だ健在であることに少なからずショックを受けている自分にも気づいてしまった。
それでも今の「理想的な状態」を保とうとするあまり、「仕事があるだけでありがたい」という気持ちからいつの間にか離れてしまっていた。

「理想的な状態」でい続けようとして疲れていたんだな。
10日ぶりの休日を過ごして、そう気づいた。

実は、「理想的な状態」でいた間にも「ちょっとしたしんどいこと」はぽつぽつあった。
でも、「全体の流れはうまくいっていると感じるから大丈夫」と、知らず知らずのうちに「もやもやした感じ」に蓋をしてしまっていた。

一度感じたもやもやは、その声をちゃんと聴いてあげるまではずっとそこにい続ける。
「辛い」「苦しい」という強い感情でなくても「何となく重たい」「引っかかる」という感じで訴えてくることもある。
上手くいっていると信じて前向きであろうとすればするほど、これらのもやもやに鈍感になってしまうのかもしれない。

ここで、今回の気づきに結びつく、私の愛読書の一部を抜粋させて頂きます。

・・・忙しくないからってほっといたらどうなるかって、やっぱりそれはそれで心の声が聞こえなくなる、ということでした。常に自分の心にチューニングしとくのって、けっこう難しい。ギターの弦みたいに、ほっといたらどんどんずれていっちゃうんです。ひまだから心は元気、ってもんでもないみたい。
最近、「今日も天気がいいし、日課の散歩に出かけよう!」とか思って外に出たものの、歩いても歩いても、なんか心がザワザワして落ち着かないことがありました。古本屋を覗いても違う、カフェに入っても違う。何がしたかったんだっけ。公園のベンチに座ってボーっとしながら、せっかく天気がいいのにもったいない・・・。←ここで、ハッとしました。
自分、損得勘定で動いとるやん!即帰って昼寝してみたら、最高の気分でした。自分とカチッとハマるというのかな。あー今日は外に出たくなかったんだー、何にもしなくて良かったんだー、と分かってスッキリ爆睡。
週5で休んでいてさえ、このザマです。すぐズレてしまうんですよね、本当の自分から。

大原扁理「年収90万円で東京ハッピーライフ」より

この本はネットやYouTubeでもたびたび話題になっているのでご存じの方も多いと思います。
著者の大原扁理さんは20代半ばから週2日だけ働いて後は好きなことをして過ごす「隠居生活」を始めた方です。
この本には、それまで抱えていた生きづらさを手掛かりに、自分が本当に快適だと思える生き方を見つけるまでの道のりとその後の幸せな暮らしが描かれています。
この方は「隠居生活」を勧めているわけではなく、「自分にとって何が快適かそうでないかをちゃんと感じて物事を選ぼう」「という意味のことをおっしゃっています。

この本では、大原さんのシンプルな食生活についても紹介されています。
大原さんは玄米菜食中心で、無農薬野菜を買ったり、道に生えている野草を取ってきたり、自分でスコーンやジャムを作ったり、たまに外食したり・・・というスタイルを楽しみながら体調を維持しているそうです。

・・・これだけは忘れずに心がけてほしいのが、必ず「自分で実感する」というステップを踏むこと。人やテレビが言ってるからって鵜呑みにしないでください。こういう食事にしたら、どうなったのか。よく眠れるようになったか、毎日便は出るか、持病の調子は、お肌の調子はどうか、精神的・経済的に無理がないか。こういうことを照らし合わせて、自分自身で判断することを、すっとばさないでください。そして定期的に微調整していくことを、ぜひ続けてください。

大原扁理「年収90万円で東京ハッピーライフ」より

この一文の中の「微調整」という言葉が、今の自分のキーワードだという感じがしています。
この言葉は、以下の文中にもあります。

心と体のバランスは、いつもいつでも自省と微調整が必要なもので、社会と距離を置いたからって、上達したり、熟練したりすることはないというのは発見でした。
自分とのズレを修正するには、とにかくボーっとするのがいちばんです。何もしないこと、何も考えないこと、何も知らなくていいし、何にも応えようとしなくていい時間を、30分でもいいから持つと、すごくいい。わたしはだいたい自然の多いとこや、看板とか広告とかの情報が少ない場所に出かけま。公園で何も考えずに日向ぼっこしたり、雨の日はアパートの床に大の字になって、雨音を聞くのもオツです。日によって違うけど、1時間でスッキリすることもあれば、3日ぐらい寝て何もしないこともある。この時間はネットもつなぎません。本も読みません。わたしは持ってないけど、テレビも見ないほうがいいでしょう。
それで、ひたすらボーっとする。何にもしないと、人間、自分と向き合うしかなくなるんですよね。すると、あのとき誘いをついオッケーしちゃったけど本当は断りたかったんだなーとか、やっぱり自分はあの場所が好きじゃないんだなー、もう行かないようにしよーとか、知らないうちに自分をしんどくしていた小さなことの積み重ねに気がついて、きちんとリセットされて自分に戻ることができます。

大原扁理「年収90万円で東京ハッピーライフ」より

この3週間の間、日中の緊張で肩こりがひどく、帰宅後に体力が残っていればヨガをして体をほぐしていた。
ゆっくり呼吸をしながら体を伸ばし、その気持ち良さに沈み込んでいくと、心地よい「ボーっとした時間」が訪れる。
そこで「ああ、還ってきた」と感じることができた。
翌日の朝にはまた飲み込まれてしまうと分かっていても、その短い時間は間違いなく貴重で有効なものだった。

目の前の物事がうまくいっていてもいなくても、常に「自分が何を感じているか」を気にかけてあげることは必要なんだな。
それを実感した休日だった。

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