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心のままに進んだら失業→就職→パワハラ→失業→今ココ③

気づいたらここにいた。
今の私には、そんな不思議な感覚がつきまとっている。

8か月の無職生活の間は、まさに「迷走」していたと思う。
明確な目標のためにがむしゃらに頑張っていたというわけではなく、思いついたことを片っ端から試してみたという感じだった。
それゆえ、通常の生活ではありえない出会いや出来事が次々にやってきた。
その合間は廃人同然の引きこもりを決め込む日も少なくなかったし、見通しの立たない未来を絶望的な気持ちで想像してはひたすら落ち込む時間もたっぷりあった。
大切な人達には失業したことを伝えてあったので、時々来る安否確認(?)には本当に救われた。
人に会うのが辛いと感じる気分の時もしばしばあったけれど、少しでも気分が上がったときは彼らを家に招いてご飯を作ったり、外で会う約束をしたりもした。

こうして振り返ってみると、暗くて長いトンネルを匍匐前進してきたというよりも、所々に柔らかい明かりが灯っていて、時々きれいな花や光る石を見つけて拾っては進むような感覚だった気がする。
辛いと感じることも決して少なくなかったけれど、決してそれだけではなかったというのが実感である。

でも、そんな振り返りができるのは、「今はトンネルの外にいるから」なのだ。
外にいればトンネルの長さがどのくらいなのか分かるけれど、中にいる間は外の様子が何一つ分からない。
あとどれだけ進めば外に出られるのか。
そもそも進む方向は合っているのか。
この先何が待っているのか。
外に出るまで自分は頑張れるのだろうか。
先の見通しが立たない状態で不安に耐え続けている間、自分を保つための方法をずっと探っていた。
その方法とは、トンネルの中にいながらにしてトンネルの外から自分を見つめる視点を持つということだった。

なかなか仕事が決まらないのは、年齢もさることながら自分のスキル不足が大きな原因だと思っていた。
要領の悪さについては改善できる限界がある。
ならば有効な資格を取ったり勉強をしたりしてスキルアップを図るべき。
本気で仕事を見つけたいなら、そのくらいの努力はして当然である。
そう思い、パソコン教室に通ってみたり、派遣会社のサイトにある無料の自宅学習制度を利用したりして自分なりにできることをしたつもりだった。
でも、世の中には数年かけて仕事と勉強を両立させ、難関資格を取得して希望の職業に就くような人もたくさんいる。
私には、自分のどこを探してもそんなモチベーションはなかった。

若くない歳で、大したスキルもモチベーションもない自分にできることはきっと限られている。
こんな自分を欲しいと言ってくれる勤め先を見つけることは、相当に難しいのだろう。
そう思っていたのに、ある日突然、希望通りの仕事の紹介を頂くことになった。
そしてすんなり採用され、粛々と働いている。

「自分はこれだけ頑張ったから仕事を得ることができた」というわけではない状況が、今、目の前にあるのだ。

「頑張らなければ欲しいものは手に入らない」
「欲しいものがあるならそれに見合う努力は必須条件」
そう信じていたのに、その信念がいとも簡単に打ち砕かれた。

頑張っても頑張らなくても、手に入るときは入るし入らないときは入らない。
それが「真実」なのではないか。

目に見えるモノや資格は、貯金や勉強といった「努力」をすることでたいていのものは手に入れられると思う。
「頑張りに関係なく手に入るもの、あるいは入らないもの」というのは、「自分にとって必要なもの、あるいは不要なもの」なのだと思う。
それは、自分が欲しいと思っているかどうかに関係なくやってきたり離れていったりするのだろう。
私が希望したにも関わらず採用されなかったたくさんの求人は、その時の私にはきっと必要なかったのだ。
今回頂いた仕事は、私にとって必要だったから向こうからやってきてくれた。
「目に見えない大きな力」が、私にそれを与えてくれたのだと思う。

何をしてもしなくても、来るべきものは来るし来ないものは来ない。
そして、自分にとって本当に必要なものは必ず与えられる。

長いトンネルの中で不安に押しつぶされそうな自分がこのことを知っていたら、そしてそれを心から信じることができていたら、ほんの少し楽な気持ちになれたかもしれない。

これは、何かを手に入れようとして努力することが「ムダ」だという意味ではない。
何かを手に入れるために努力することがあまりにも辛いなら、その行動はあえてやる必要はないということである。
努力してもしなくても、手に入るものは入るし入らないものは入らない。
それならただシンプルに「辛いことはやめていい」ということなのだ。

生きている限り人生は続いていく。
その間に起こる出来事や出会いは全て、必要だからこそやってきたもの。
でも、それらがやってきた意味は、もしかしたら死ぬまで分からないかもしれない。
目の前の出来事が今後どんなことに繋がっていくのかは予想できないからだ。
今回与えられた仕事や環境も、現時点では私を大いに助けてくれているが、これがこの先どう転がっていくかは全くの未知である。
私は今の状況を、そんな風に捉えている。

こんなに頑張った「のに」。
そんな風に感じてしまうほど頑張るのは、ちょっとやめてみよう。
そんなに頑張らなくてもうまくいくときはうまくいくし、ダメなときはダメなのだ。
それが腑に落ちたことは、無職生活の中で得た大きな収穫だった。

終わり。

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