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悩みが全て消えてしまったらどうするか

昨日は久しぶりに家事代行の仕事が入った。
お昼抜きで5時間、通しで掃除をしてクタクタになって帰ってきて、バナナヨーグルトを食べたら18時前には眠くなってしまった。
必死で眠気をこらえてお風呂に入り、22時半まで粘って布団に入ったら朝までぐっすり眠れた。

その日までの雨続きだった二日間は家にこもっていたのでまんまと負の思考ループにはまり、自力ではどうやっても抜け出せなくなっていた。
それが、「仕事に出かけて疲れて帰ってきて寝た」だけでほぼ回復していたことに驚いた。
そんなものなのだ。

今朝はすっきりと目が覚めて、6時には散歩に出ていた。
歩きながら考えた。

もし、今抱えている悩みが全て消えてしまったら?
私は何をするだろう。

・・・・・。

何も、浮かばない。

何かしたいことはないのだろうか?
何か我慢していることはないのか?

・・・・・。

何も、ないかも。

私は、悩みたいから悩んでいるだけなのかな。
何もすることがないから、単にヒマだから、時間つぶしのために悩んでいるのかな。
手放すと手持ち無沙汰になってしまうから手放せないだけなのかな。
口寂しくて甘いものを口にしてしまうように、悩みも「つい癖で、何となく」悩んでいるだけなのかな。

もし、今抱えている悩みが全て消えてしまったら?

私は、困ってしまうかもしれない。
心底ヒマになってしまうから。
だから、解決したくないのかもしれない。

悩みから離れるために「やりたいことをやろう」というアドバイスをどれだけ実行してみてもいまいちピンと来なかったのは、「やりたいこと=悩むこと」だったからかもしれない。

そうか。
私は、悩みたくて悩んでるんだ。
40年以上も。
飽きないんだなあ。
すごいなあ。
でも、さすがに疲れたなあ。
そろそろやめたいんだけどなあ。

「悩み=思考の癖」とも言われる。
知識としては分かっていたことだけれど、「癖」を意識し、常に気づいていることは簡単ではない。
今ここで気づいたことも、明日どころか数時間後には忘れているだろう。

さらに言うと、「やりたいことを探さなければならない」という義務感にも追われている。
さらにさらに言うと、「無理して探さなくていい」というアドバイスが「無理して探してはならない」に変換されてしまう。
これも「癖」なのかな・・・

あれも癖。これも癖。
「悩み=思考の癖」だと考えることで何とかして楽になろうとしている。
これもまた、癖なのだろう。


「さすがに疲れた」
「そろそろやめたい」
この気持ちが出口を見つけるヒントになるかもしれない。
今ふと、そう思った。




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