木こりやの牛さん
夕方の5時30分だというのに店内はほぼ満席。お肉屋さんがやってるだけあって、ステーキもハンバーグの種類もかなり豊富。店員さんがメニューをめくりながら、ほぼ全てのメニューを紹介してくれたが説明が長すぎて最後らへんは南無阿弥法蓮華経に聞こえた。結局、分かったのはサーロインが1ポンドしかないこと。1ポンドとは453.592g。いまどき、ポンドを使うとこは木こり家かボーリング場くらいのものだろう。
帰り際に入り口にふと目をやると牛さんが佇んでいることに気づく。(ここで言う牛さんはよく神社の境内にいる頭を撫でると頭が良くなるタイプの牛ではないことに留意されたい)明らかにこの牛さんは食べてくれてありがとうの顔をしていない。牛さんはとても凛々しい眼をしている。強い意思を感じる。私たちにはその牛さんの感情を推し量ることしかできない。私はこの牛さんと対峙したことで、私たち人間は多くの命の上に成り立っているという圧倒的事実に直面せざるを得なかった。私は今までこの事実を頭の中では分かっていても、どこか人ごとの部分が拭いきれなかった。普段食べている鶏肉の裏には必ずその鳥を捌いている人間がいる。至極当たり前な事実だが私たちは意識せずに生活している。いや、意識しなくてすむように都合の悪い事実は私たちの目の届かないところに隠してある。私たちができることは、いただいた命一つ一つにありがとうと感謝の気持ちを伝えること。そんな当たり前なことに、木こり家の牛さんは気づかせてくれた。この牛さんに誠心誠意のありがとうを伝えて帰路につくのが木こり家の流儀だ。
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