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秋の味覚

「今」を研究している学者がいるのを、テレビで知った。
うろ覚えだが、【人が「今」という概念を持ったことで、未来への希望や過去への後悔を持つことになったそうだ。
幼子を見ていると、なるほどと思う。
幼子には「今」すら存在しないので、明日を思い煩うこともなく、昨日を悔やむこともないではないか。
人が認識出来る「今」は、0.1秒だとか言ってたなぁ。

夕子が低学年の頃から気づいていたことが、二つある。
毎日がリフレインであることと、ほぼ全ての生き物の形がドーナツ状であることだ。
「朝起きてご飯を食べて風呂に入って寝る」ことをひたすら繰り返しているだけではないかと気づいた時は、なんだかうんざりした。
錠剤を一粒飲むだけで、食事も風呂も済ませられないものか・・・と真剣に考えてもみた。
口から入ったものがお尻から出るのは、ドーナツのように人間の体の真ん中に穴があるからだ。
他の生物も、同じ構造のものが大半だと思う。

うんざりした時、夕子は計算することがある。
例えば、あと何回試験を受ける必要があるのかを計算し、楽になろうとしてなれず、益々うんざりしてため息をつくのだ。

だけど大人になった夕子は、計算しなくなっている。
大人になれば無くなると思っていた試験すらなくならなかったし、風呂に入らないで済む薬が開発されそうな気配もないからだろうか?

アダムとイブが罪を犯さなければ、リフレインやドーナツのことでうんざりすることもなかったのに・・・と夕子は思う。

アダムとイブにまで文句を言いたくなるのは、献立に行き詰っている時が多いのかな、と夕子は我が身をあざ笑う。
立ち上がれないほどの苦しみの中では、神を恨む気力もわかないのは確かだ。

さっきバケツをひっくり返したような雨が降り、9月が近いのを実感する。
黒澤明の晩年の作品「八月の協奏曲」で見た雨に、似ている気がした。

さて夕食は何にしようか?
そう言えば「永谷園のマツタケのお吸い物とエリンギ」を使って、マツタケご飯を作るという裏技があったっけ・・・。
子どもたちに食べさせたくて作ったことがあったなぁ~。
マツタケご飯もどきでも、秋の味覚に違いはない。

わくわくして、子供たちに感想を聞いた。
「どう?マツタケご飯みたいだった?」と。
答えは
「マツタケご飯を食べたことがないから、わからない」だった。


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