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春節

「東京じゃスーパーのレジでは間隔開けて並んで、みんなマスクもしているよ」、と東京在住の同級生が電話口でしゃべっている。
「あはは、田舎じゃそんなことする人間はいないよ」、と私。
その時の私はコロナは知っていたけれど、そのウイルスの本当の怖さをまだ知るよしもなかった。
のんびりと笑ったあの日から4年、私が屈託なく笑うことはもう二度とない。

日本で初めてコロナの発症例が報告されたのは、2020年正月明けのことだった。
2019年12月末から中国の武漢に滞在し、翌年Ⅰ月6日に帰国した日本人が発症したのが、国内初のコロナ患者だった。
それからわずか数か月の間に、小説の世界でしかなかった「パンデミック」なるものを体験しようとは、ほとんどの人が想像もしていなかったと思う。
いや、過去にもパンデミックはあったのだが、それは歴史上の出来事のようになっていた。
スペイン風邪は医療の発達していなかった時代のものと思われており、エイズは輸血や性行為による一部の人たち限定のものととらえられていた。
要は、自分には関係ない世界の出来事だった。
中国で発生したコロナがなぜ世界的に感染拡大したのか・・・。
初期の対策を必要とした時期が春節と重ったにもかかわらず、事態を甘く見た中国が、国民の行動制限をしなかったことで、爆発的に感染拡大したのだった。

コロナで人生を一変させられた人は、ごまんといる。
死ななかっただけで今も後遺症に苦しみ、働こうにも働けず、周りに理解されず苦しむ人もいる。

後遺症に苦しまない私は、まだましなのだ。
コロナで人工呼吸器を装着するときは、苦しまないように全身麻酔をする。
目が覚める時は症状が改善されているはずなので、私は希望を胸に眠りについた。

一週間後に目覚めた時、苦しみは跡形もなくなっていて一瞬喜びが溢れたが、何かがおかしかった。
呼吸器をつける時に優しかった看護師が、無言で私の身体に何かしている。
目を合わせようともせず、物のように扱うのだ。
そのうち全身を何かカバーみたいなもので覆われ、どこかに移動させられた。
ガシャン、と重い扉が閉じるような音がしたかと思うと、ゴーッと凄まじい音が聞こえた。
一体何が起こったのかわからないまま、ずっと私はどこかを漂っている。

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