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ゾンビとゾンビ その2

会いたかった友里さんに会えることになったのは、思いのほか早かった。
山田さんが遊びに行くついでに、連れて行ってもらえることになったのだ。
ご主人が大企業の役員の友里さんは、お金持ちらしかった。

高校生の頃友里さんと眼科で出会ったことがあるが、待合室で友里さんの方から声をかけてくれたことがあった。
地味で引っ込み思案な私はそのことが嬉しくて、ずーっと忘れていなかった。
少しずつ少しずつ私に近寄り、首をかしげて恥ずかしそうに微笑んで、挨拶してくれたのだ。
あの友里さんに会えると思うと、何だか嬉しかった。

30年ぶりに会った友里さんは、めちゃめちゃ若くて美しかった。
目を反らすことの出来ない黒曜石みたいな瞳も、かわいらしいしぐさも物言いも、健在だった。
だけど友里さんと会話を続けるのが至難の業だと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
夕子は、その気にさえなれば結構だれとでも話題を探しておしゃべり出来る方だったが、生まれて初めて敗北を感じていた。
「言葉のキャッチボールが出来ない」だけなら、ここまでの敗北感は抱かないと思う。
「出来ないのは、する気はあるが出来ない」のであって、「する気がないからしない」のとは天と地ほどの違いがあるのだと、夕子は思い知らされた。
友里さんが不機嫌だとか、返事をしないとか、無視するのとも違っている。
「元気?」と言えば、「元気」と返ってくる。
「昼ごはん何食べた?」と聞けば、「〇〇食べた」と返ってくる。
いつもと違うのは、それで会話が終わることなのだった。
「❓」に対する答えは返るのだが、その後ろには何もないのだ。
川下りを楽しんでいて突然滝に落ちるとか、落とし穴に落ちて何が起こったのかわからず呆然とする感覚に似てなくもないか・・・と夕子は思う。
頭をフル回転させながら夕子がたどり着いた答えは、「友里さんは、相手に関心がない」ということだった。
昔から、座っているだけでほぼ全ての人から関心を持たれていたのだから、自分から関心を持つ必要なんてないのは、当たり前と言えば当たり前だった。

続く



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