現実という帯
現実は切れ目のない帯。
都合よく切り取るの人間目線のセンス。
自分なんていう都合のいい解釈は、
脳の見ている幻想。
言葉で区切ることで簡単にしている。
さも価値があるかようにしている。
そもそも価値があるという理解から作り物。
現実という帯がどう見えるかは器次第。
その器は広がる。が、故意には不可能。
言葉は“言葉である”という檻に入ってるから、
必ず限界を含んでいる。
日本語はまだ豊かな方だが限界はある。
そこでブッダの教え、
「智慧を求める智慧」が効いてくる。
限界があることを踏まえ、
その境目を無かったことにする智慧である。
すごい発明をしたものだ。
言葉を使いながらにして、
言葉を使わないことができる。
現実を切り取るのか、それとも
繋がった帯の柄として位置付けておくのか。
人間の脳は賢い。必要な方を選び、
それでしかない理解体系を構築する。
それ以外を罵り切り捨てる。
己を律すな。どうせ意図的には為せない。
委ね、明け渡せ。
思考すら都合あてがった脳の幻想じゃ。
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