見出し画像

2022/7/24 ゆるっと日曜日を愉しみながら地域を考える

7:30 起床
午前中 PC仕事,家族と連絡
12:30 兎渡路の家でポーポー焼き弁当
13:30 ライフサイクリング(NORERU?主催)のイベントの中の「アップサイクルアクセサリー作り」(Masaki Rinaさん主催)と,藁谷 弘子さんによるヨガ体験
16:00 帰り道,中之作港前の草むしり(草を食べる)をしている館長に出会う
16:30 家の近くの駐車場にて車がとまる。レンタカーに電話をしてきてもらいバッテリー交換をして事なきを得る。 


キャプチャの写真は福島県いわき市中之作にあるレンタル古民家「清航館」館長のうみくんです。草をむしゃむしゃ食べることと,いろんな人に可愛がられることが仕事かなと思っています。笑

午前中はやらないといけないことをしようと思いつつ,いろんな人と連絡。1週間,思ったことなどを話して,少しスッキリ。みなさん,ありがとうございます。

午後はライフサイクリングのイベントに,私も自転車の正装で向かう。

義両親から譲り受けた折り畳み自転車。サドルが空気入れになる


「アップサイクルアクセサリー作り」はビーチクリーン@四倉のnoteにも書いたマイクラプラスチックごみを使ったアクセサリーづくり。Rinaさんがビーチクリーン中に拾ったプラスチックゴミが瓶に入っており,アクセサリーづくりの参加者は型を選び,その中にプラスチックや魚網などを入れていく。

漁網の端を広げて珊瑚礁に見立てた。あえて気泡も入れた。

帰り際,うみくんがお仕事しているのを発見。首についている少し低めのカランカランという音が癒される。

なんでヤギの目は横に黒いのだろう
カメラを近づけると近寄ってきてくれる


「奥の建物が清航館と言うんだメ〜」
「イベントあるときは来てメ〜」

館長と一通りコミュニケーションをとり,家へ。買い物に行こうと車に乗ると動かない。バッテリー上がりじゃないかと言われ,ネットで調べるとバッテリー上がりの原因一位はライトのつけっぱなし。確かに,ライトを回すところはオンになっていた。ライトは車のエンジンを消したら消えるだろうという固定観念があり,また一つ学びが増えました。

◆1週間動き続けて考えたこと

普段生活している地域からよその地域へ行くと,新しい自分に出会える。二拠点生活のススメみたいな形になるが,日常の生活で凝り固まった自分をほぐすのに二拠点生活はおすすめである。日常の生活とは私にとって千葉で生活すること,教員として授業をやること,大学院生として研究することである。

図(簡単に言うと,意識するもの)と地(簡単に言うと,意識しないもの)で言うと,私にとって生活の中の<図>は先ほど挙げたような事柄。あと食べること。<地>は電車と徒歩で通勤すること,iDで決済すること,ミニマムな生活をすること,など。この図と地は無意識に定まっていくもので,毎回<地>を感動を持って意識しまくっていたら人間は疲れてしまう。ただ,それがルーティーン化していくと,なんというか肩が凝ってしまう。

二拠点生活を始めると,この図と地がいい意味でかき回される。例えば車を一人で乗るが人生で初めてだった日から1週間たち,千葉でも車運転して生活したら行動範囲広がって楽しいだろうなと想像したり。初めての人にアポを取ったり,お客として訪れたお店で取材(と言うほど固いものでもないが)のお願いをしたりと言うことが毎日のようにある。千葉では初めての人に会うのが非日常だが,こちらに来てからはそれが日常だ。初めての方へ連絡する際に,元々そんなに気を張るタイプでもないが,それでも一応失礼のないようにじっくり考えることもある。しかし,こちらでは毎回何十分もそこに時間をかけられないので,どんどん話しかける。電話する。メッセンジャーで連絡する。千葉で少し億劫だなと思っていたことが,平気になってくる。

虫と私の関係もだいぶ変わった。福島に向かう道中では,自分が千葉の生活で様々なことに神経質になりすぎていることを自覚していたので,ある意味リハビリになると考えていた。千葉に住んでいると,雨は駅が大きい分簡単に凌げるし,マンションに出る虫は蚊と蜘蛛くらいである。いわきで虫を無視できなかった事件No.1は,暗闇の中,私の手の上を8cmほどのムカデが通ったことである。刺されていない。真夜中の事件だったためnoteには書き記していないかもしれないが,かなり衝撃的な事件であった。真夜中ムカデ事件と名付けたい。次の日にはコールマンの高さのあまりない折りたたみのベッドを購入してしまった。こればかりは乗り越えられない壁であった。

もう少し大きいところで言うと,自然と私の関係も変わった。草むしりは千葉ではやったことないので,いわきでは電動草刈機が楽しすぎた。シムシティの指をスライドして植物を収穫するのをリアルにやれるのである。ちゃんと草むしりという行為をデザインしてプロジェクト化すれば草むしりに夢中になる人が増えて,草むしりオタクができるんじゃないかと思うくらい,気持ちがいい。素人ながら道具の使い方を少しずつわかっていくのも楽しく,草刈機の歯が   )の向きについているので,右から左へと草刈機を移動させると茎の太い植物もバッサバッサ薙ぎ倒せる。

千葉での暮らしではかなり私好みにカスタマイズされ,簡素化された毎日を送っていた。服は1シーズン3セット,毎日バックに入れる物は全て把握済みなど,プライベートにかける時間やコストの時間を下げて,その分,授業づくりや研究に思考の時間を割くように心掛けてきた。しかし,いわきに来て思う。自分の身体性を軽視しすぎていたのではないか,と。ヨガをやると脱力すること,呼吸すること,体の内面を感じることを求められる。そういう頭(と体)の使い方をしていなかったので,コリが蓄積されるような毎日だったように思う。実際,重い本などと,Mabook,iPad miniを持ち歩く生活により肩こりはひどいのだけれど。そして自分の体を動かして体に意識を向けると,自分の思考がまた変わったり進んだりする。ピアノを弾いて子どもが近寄ってきてくれたときは,やっぱこういうのいいよねと思う。体と体でコミュニケーション取れるというか。

秩序と混沌(反秩序),図と地,中心と周縁,メインとサブ,意識と無意識,大事なものと排除したいもの,真面目と遊び,なんでもそうなのだが,こういうような対比を8:2あるいは9:1で回していくことが何事も,人生も,仕事も,壮大なプロジェクトも,政治も,大事なんじゃないかなと思う。8割・9割が日々の余計な思考を削ぎ落として進められる部分,最低限を支えてくれるもので,1割・2割が豊かな文脈の上で作られる創造的な営み,殻を破るものである。8割・9割が毎日を支え,1割・2割ではっちゃけて,次の日からの毎日を生気づける。昔の稲作と祭りの関係は理にかなった,究極のサイクルだと思う。

秩序側が10割だと緩く生きていきたい人にはきつい。また真面目にやりたい人はそれが完全なる正義になってしまい,どんどん内向きにエネルギーが溜まってしまう(違う動きをする人を排除したくなる)。混沌側が5割もあると,その場が成り立たなくなってしまう。いろんなエネルギーが発散してしまって,崩壊へと向かう可能性が高くなる。真面目な人にはどう自分が動いたらいいのかわからなくなってしまう。

この理論でうまくいかない事象に出会うまでは,この考え方でやっていきたいと思う。世の中,一昔前のPDCAサイクルとか,最近でいうデザイン思考といった思考の進め方をサイクルで表現するものがある。私はこのサイクルの傍流みたいなものを真剣に考えたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?