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さびしさと無趣味

私はいつもさびしい。街を歩いていて周りの人たちを見ていると、友達や恋人と楽しそうにおしゃべりしながら歩いていて、一人で歩いているのがさびしいと感じる。もういい歳なので、同年代やまあまあ歳下に見える人たちが小さな子どもを伴った家族連れであることも多いのだが、それはそれで、自分は毎日何を……という劣等感を刺激されたりする。そんなこと考えなくていいはずだとは思う。

孤独を解消するには、何か趣味の集まりに通って仲間を得るのがよい、とよく言われる。確かに趣味がある人って幸せそうでうらやましい。まず好きなことがあるってのがいいし、同じ趣味の人と交流があるのも楽しそうだ。やっぱりそこで友達や恋人もできそうだし。

まず趣味がないなと思う。しかし、日々が寂しく虚ろであるからといって趣味を見繕うというのは何かが変だ。趣味に生きてる人ってそもそも何か違うじゃん。労働や生活の傍ら趣味に注ぐための体力的・精神的余裕があり、自分の好きなものについて人と話すことができ、その界隈の複雑な文脈を解する知性があり、そりゃ、気が合って仲良くなれる人も見つかるわい。「服屋に着ていく服がない」「健康のために運動するための体力がない」みたいな話に似ている。そもそもそのステージに上がる何かが欠けているような気がする。

「趣味がない」って変な悩みだ。実際のところ趣味がなくて困ることって別にないと思う。「恋人がいない」とかもそう。へんなの。困るとしたら、人に話すとなんとなく体裁が悪いとか、つまらない奴だと思われる気がするとか、話題に困るとか、そのくらいなのではないか。本当の悩みは「毎日寂しく虚しい」とかだと思う。私ならそうだな。でも「毎日寂しく虚しい」なんて人に話しても空気が重くなってしまうだけだから、せめて「趣味がないんですよねえ」とか言うのかもしれないな。

誰かと出会って理解し合いたい、人に寄り添って生きていきたいという願望がある。わざわざ言うまでもない自然な欲求なのかもしれない。私は人間関係で失敗ばかりしている。つい最近も大きな失敗をして、友達をなくしそうになっている。相手にも自分にも心底失望した。そもそも誰かと関わるのに向いていないのだから、無理して関わろうとするのをやめて、一人でも楽しみや生きがいを見つけるのがよいと思い、しばらくいろいろやってみていた。一人でウォーキングに行ったり、旅行に行ったりした。でもこの頃は、空元気にも限界があるという感じになってきた。

昔、幼稚園とか小学校の頃、周りの子達は友達と楽しそうにお話ししているのに、自分は一人でぼーっとしているのにしばしば気づいた。今もわりと、職場でそうなっているし、そのことが全く平気ではないな……。一人でいるというだけならあまり寂しいと感じていないのに、周りの人が仲良く楽しそうにしていて自分はそこには入れないとなると、急に心細くみじめな気持ちになる。

寂し〜って言ったら大抵は、何か人と関わるようなことすればいいんじゃない?って言われると思う。ChatGPTもそう言ってた。いやあ……本当にそうなんだよね。コロナ禍前は、今よりは友達を誘ってご飯や遊びに出かけていた気がする。コロナ禍以降も少しは。なんでそれ、この頃すごく難しく感じるんだろう。友達と破局したからか。それも大いにあるけど多分その前から、なんかさ……。

最近は人と関わりたいと思ってる。だけど、ただ人と関わるってだけを目的に何か始めるってことなくない?仲良くなったらただ遊ぶんだろうけど。新しい人と出会うとして、趣味の集まりなり婚活なり何か他の目的があるだろ。それが私にはない。書いてて思ったけど、ネットのサークルメンバー募集を見ると「30代からの友達づくり♪」とか結構あるな。それはそれで尻込みしてしまう。きっとそこで出会った人のこと、苦手なタイプだなあと思ってしまうだろう。そして、そこで出会った人達からも、何やコイツ……変なの……やだ……と思われて二度目はないのだ。

私みたいな人間は絶対何かのオタクだった方が楽しいと思うんだよね。かねがねそう思ってきた。でも楽しいことや面白いことよりも、嫌なこととか気持ちの悪いこと、変なことばかりが気になって、ポジティブなことがとても下手になってしまった。

つまり、性格的に「友達づくり♪」みたいな直球でうまくいくとは思えず、何か媒介する趣味なりコンテンツを通じて仲良くなれそうな人を見つけるのがいい気がするが、趣味も私にはどうも難しかった結果、寂しく、虚しく、暇なのであった。

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