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木曜日の女

木曜日


木曜日の女・・・
さてここで本題の木曜日の女について書かなくてはなるまい。
そもそも本記事を書くのは、日曜日の朝に冷えたサツマイモを食べるぐらい、私にとって甚だ不本意なものなのだ。それはお腹が減って冷蔵庫を開けたが何もないから渋々食べるだけで、本記事も、私のこの彷徨える可哀想な魂がそのいき場所に苦難しているからここにしまっておくだけなのである。そこのところ、読者には重々ご承知おき願いたい。

 私が毎朝、暖かい毛布をまくるのに、冷えた白シャツを纏うのに、革靴に足を通すのに躊躇するわけは、6時間という短い睡眠時間の他に、この女の責任があると言わざるを得ない。

大方の諸兄は就職活動などの企業説明会の際、一番前の席で企業側の説明にいちいちうんうんと首肯するいわゆる「イタイ女さん」に遭遇したことがあるだろう。

また、学生時代、先生が放つ何気ない言葉でさえ、一言一句、あたかも師ソクラテスの対話を書物に遺そうとするプラトンの如く、ノートにメモを書き綴る生真面目すぎる生徒を目にしたことも。

木曜日の女はこれら全てであった。

私が人生で散々蔑ろにし、友人との笑い話として過去の1フォルダにしまってきたもの、青春時代の一人格のように不完全故に記憶から抹消してきた記憶の成形、長い間抑圧されて消えてしまいそうなシナプス、その一片一片が、何年もの時を経て、この女の形をして顕現したのである。

日本的教育の敗北。Twitterにへばりつく崇高な批判者たちの常套句であるこの使い古された文言が、形をなしてこの私の眼下に、あるいは視界の右端に映る、この嫌悪の情が諸君に想像できようか。


こういった人間の最大の誤りは失敗を過度に恐れ、常に正解であろうとする病的な態度にある。

私が何かミスをした時の彼女のあの顔、まるで家に帰ったら家中の家具が全部逆さに向いてひっくり返っていたかのようなあの驚愕に満ちた顔を今でも細大漏らさず思い出すことができる。
または、私に注意している時のあの眼、あの茶色い瞳の奥に潜む、ぼんやりとした不安。

どれだけファッショブルであろうと、ゆで卵の殻を剥くような丁寧な言葉遣いをしようと、彼女が発する慢性的な不安に私は毎日吐き気を覚えるのである。


それから…

 上の記事の文章を書いたのは2ヶ月前であろうか。
実は、私の目下の不機嫌の理由は木曜日の女ではなく、日村さんである。
しかし、彼らへ不満は下の総括に少し綴るに留め、私がかけてきた多大な迷惑と、彼らから助けて頂いた恩を持ってそろそろこの職場も総括に入る時期が来たのだ。
 思えば、半年前、意気揚々と入社した私もここまで萎んでしまい、水気が抜けた茄子のようになってしまった。それもそのはず、残念なことにこの職場は基本的に全員、頭が弱く、論理的思考ができなかった。その理由は、物事を「漢字を覚える」ときのように書いて覚える、繰り返して体で覚えるという方法記憶しかできないからである。ミスを出さない、降りてきた仕事を何事もなく処理するという頭が痛くなるような仕事なので、このような思考力が欠如した人間には最適なのだろうと言うのが筆者の考察である。
 時々耐えかね、怒鳴るのを抑え発狂しそうな口をつぐんで筆者はトイレに駆け込む。ドアを開けて右側の窓の下には細い横道が走っている。
 この道路を覗いては学生時代住んだ京都の、路地のごとき狭い道を思い浮かべる。学友たちと過ごした換え難き時間、全てを受け入れてくれるあの京の生緩い空気を思い返し、自分の役割を、夢を思い返し、静かに自席に戻るのだ。
 おそらく、彼らからすると、私は宇宙人のような存在であっただろう。「仕事」という概念も「世界」の捉え方も恐ろしく違った。全てが違ったのだ。「なぜこの人はずっとスーツなのだろう?」「何をこの人は考え込んでいるのだろう?」彼らは疑問だったに違いない。こんな宇宙人を最も気にかけてくれ、時々不機嫌ではあったが、快く質問に答えてくれたのは、紛れもない木曜日の女なのである。彼女なしではこの半年超の就業は不可能だっただろう。
私は大阪という土地が何より嫌いだ。やけに馴れ馴れしく、田舎くさく、何より繊細さというものの反対に位置している。しかし、このような赤の他人を思いやり、輪に入れてくれる、温かさに助けられるのも大阪という地なのだ。

P.S.
筆者には一生不憫な目にあっていてほしい、帽子取ったら髪型ナスみたいだねという声を頂きますが、私は精神の安寧を求めて仕事を選びますし、浮浪者のような帽子は二度と被りませんので、ご理解ください。


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