東の海神 西の滄海

尚隆がもうものすごく大好きで、絶大な信頼をおいているので
尚隆ならなんとかしてくれる、とハラハラせずに読めるのだけれど、
斡由が最もなことをいうもんだから
どんなふうにして決着をつけるのか、大人として気にして読み進めた。

なんていうの、大人になると、どちらの言い分も分かるけれどどうしたって相いれない・・・なんて場面は山ほどあるわけで
その場面に遭遇するたびに、もっと聡明な人ならなんとかどちらをも納得させることができる決着のつけ方ができたのかなと、へこみ、後悔がいつまでも付きまとうのが常なのよね。

しかもさ、言葉の選び方一つで行き先が全く異なってしまうことなんて、信じられないくらい普通にあって、
だけど言い方ひとつに気を使えるほどいつも余裕があるわけでもなくて。
毎日、毎度、過ちばかり繰り返してしまう(主に私が)。

だから、その「聡明な人」である尚隆がどんな決着のつけ方をするのか、注意深く読んだ。どんな言葉を選んで、どんな言い方をするのか。
一度目を読んだときは、結末を知らずに読むから尚隆の思惑による言動に、事細かく注意を払えないでいたけれど
二度目を読んだときは、「尚隆はこの時もう見えてたのね」とその微細な感触を読み取れて気持ちがよかった。
尚隆は不要なことは全く言わないから、知らない者からするともう腹が立ってしかたないのかもしれないし、私の周りにいたら、イライラして小言言ってばかりなんだろうけれど。


ここまで書いたものを自分で読み返して、「違うな・・」と思ったわ。
何をどういうのかが大事、って思ってたけど、
何を言わないのか、ってもっと大事な気がする。
私なんて、一から百まで説明しちゃう。だって「こいつ何も考えずにこんなこといってるな?」って思われたくないから。だから「考えてますよ」「あのパターンもこのパターンも考えた結果がこれですよ」ってこと細かく説明しちゃう。莫迦だと思われたくないから。

でも尚隆って、散々「莫迦」って思われて実際言われても、まったく気にしないしブレない。
同じようにあのパターンもこのパターンも考えている、のは同じはずなのに、それをぜーんぶ言ってしまうことと、なーんにも言わないこと。
何がどう違ってその表現が異なることになるのかなと考えたけれど、
・自分への自信
・間違っていたときの受け止め方、責任の取り方
・プライドの在処、etc・・・
あ~これが王になるべきな人と、普通の人の違いなのねと思い知るばかりな結果になってしまった。へこむ。


この本は異世界の話だし、国の統治に関する話だから規模は全く違うけれど
我々の世界にもこのようなことは大なり小なりあるのでは?
ニュースを見てても思う。
恩人や、上司の言うことだから、それが悪だと分かっていてもやる。だってあの人がやれと言う(もしくは、言わずともその思いを行間ににじませる)から。

それって「自分で考えること」を放棄してしまっているのでは?無責任では?ってすごく思うけれど、
その「恩」や上司の「力」が想像するよりもものすごく大きいものだとしたら。抗えないほどの大きさなんだとしたら。抗う力がもう自分にはない、自分の判断への自信が自分になかった、なんだとしたら。
更夜の立場に自分がなったなら。

他人事だから冷静に言えることも、いざ自分事になると、そうはいかない。そんな強くいられない。だから、簡単なことも、むずかしい。


いろんなこと考えさせてくれるなあと、思う。

もし、もしも、斡由があんな人じゃなかったとしたら。
本当に正義の人で、尚隆と真っ向から意見が食い違っていたのなら。
尚隆は、どんな風に収めたかな。
尚隆だったらどうするかな。
日々の私の頭に尚隆を住まわせて、いろんなこと想像したい。

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