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漫画「こういうのがいい」感想

いまだに、恋愛は結婚のためにあるのだと信じている人が多すぎるように思う。
そういう人としゃべっていると本当に疲れる。
傷つく。

愛と嫉妬の区別がついていない人も多すぎるように思う。
そういう人としゃべってると本当に疲れる。
傷つく。

しゃべってなくても疲れる。
SNSやマッチングアプリなどで、そういう言葉を吐いている人間を見るだけで疲れる。

「結婚を見据えた真剣な交際ができる方を探しています」
「結婚を前提に付き合える人しかいりません」

こういうこと平気で書いている人間がうじゃうじゃいるよね。
気持ち悪い。

恋愛は結婚に至るプロセスなんだね。
結婚に至らない愛には価値がないんだね。
時間の無駄なんだね。
ちなみに同性愛者の人は、今の日本の制度だと結婚できないけど、それについてはどう思ってるんだろうね。
差別主義者どもが。
でもこういうことを言うと、「人が結婚に至らない恋愛をすることは否定していない」「同性愛者の人たちの愛の在り方を否定しているわけじゃない」「自分は結婚したいだけ」とか言って相対主義に逃げるんだろうね。
クソどもが。
死ね。

でもここで一度、差別について考えたほうがいいのかもしれないね。
「私は」結婚したいだけ、だと言う。
それぞれの愛のあり方は自由で、結婚したい人もいれば、結婚したくない人もいる。
でも結婚したい人が多数派だったらどうするんだろう。

どうして人は、「自分だけを見てほしい」などと考えるのだろう。
「自分」って何のことを言ってるんだろう。
昨日の自分と今日の自分が同じ人間だって、どうしてわかるんだろう。

子どもが複数いる人は、二番目の子どもが生まれたときに、親がその子にかかりきりになっていると、先に生まれた子どもが嫉妬することを知っているだろう。
でもほとんどの親は、その嫉妬を尊重して二番目の子どもと別れたりしない。
最初の子どもと別れて、「ちゃんとする」こともしない。
なんなら最初の子どもをしかりつけたりする。
「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい!」とか言って。

友達が複数いる人は、二番目の友達ができたときに、最初の友達と別れたりしない。

それでも、性愛や結婚については1対1の関係がこの国では絶対視されている。
なぜだろう?
愛という意味では、家族や友達のことだって愛しているはずなのに、どうして「それとこれとは違う」ことになるのだろう。
別に違うなら違うでいいよ。
どこがどう違うのか、小さい子どもにでもわかるように説明してほしい。

「浮気」とか「不倫」とか呼ばれる行為をすると、「パートナーが悲しむと思わないのか!」「パートナーの気持ちを考えろ!」みたいなわけのわからない怒号が飛んでくることがある。

小さい子どもに「好きな子いる?」と聞くと、「〇〇くんと、××くんと、△△くん」と複数の名前を挙げることは珍しくない。
その子に対して、「一人以外の子に対する愛はあきらめなければならない」という残酷な教えを説くとき、そこにどんな説明をつけるつもりなのだろうか。

その子どもが、先に生まれた人間たちが作り上げた意味不明の慣習のせいで、自分の愛を引き裂かれるとき、どんな気持ちになるのか、考えないのだろうか。

バカどもが。愛と嫉妬の区別がつかないバカどもが。死ね。

僕は別に、パートナーが自分のほかに性的パートナーや愛する人を持つことに対し、嫉妬や悲しみを感じてはいけない、と主張するつもりはない。
というかそんなことに意味はない。
気持ちに鎖はつけられないのだから、その人がパートナーの「浮気」や「不倫」にどれだけ怒りや嫉妬を感じようと、それはその人の自由だ。
でもそれは「恥ずべきこと」であって、その気持ちに駆られて相手を攻撃するなどあってはならないことなのだ。
にもかかわらず、現在のこの国で「恥ずべきこと」とされているのは、複数の性的パートナーを作ることそのものなのだ。

バカどもが。愛と嫉妬の区別がつかないバカどもが。死ね。

という長い前振りだけを書いて放置していた。

この漫画はけっこういいと思う。
結局恋人がいたらフリフレは休業というモノガミー精神に囚われていそうなところは残念なのだが、結婚行特快にしか乗れない人間関係の在り方を問い直すうえで、大衆向けの入り口としてはちょうどいいだろう。

バカなのだから、いきなり全部を説明してもしょうがない。

導入の説明としては、こういうのがいい。

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