言葉のキャッチボール

がしたい人が世の中にはたくさんいるのだということが、最近わかってきた。
それで僕のような人間は、言葉のスパイクを決めるのが好きなのだ。
向こうはキャッチボールのつもりで投げてくる。
でも僕はそれをトスだと思って床にたたきつける。
スパイクの鋭さと正確さを追究しているのだ。
それでお前のスパイクはどんなの?
と考えている。
でもキャッチボールしに来ている人はスパイクを見てドン引きしている。
しかしキャッチボールをしに来ている人も、ぬるいボールのやり取りだけで必ずしも満足するわけではない。
だからある程度変化球も混ぜなければならない。
そういう安全圏でのゆらぎみたいなものを、普通の人は求めているのかもしれない。
そういうのの何が楽しいのか正直よくわからないが、それがわからない人間として生まれてきたことが、僕の孤独の根本的な原因かもしれない。

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