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マッチングアプリの女

のプロフィールに書いてある言葉には、ほとんど意味がない。
と考えている。最近。

まず、大前提として、言葉は現実と一致しない。
そのため、書かれた言葉は、女自身の欲望と一致していない。

また、女自身が、自分の欲望を理解していない。
高い解像度で見つめていない。
もしくは、あるいは、なおかつ、
高解像度で見つめることができていたとしても、手持ちの言葉が追い付いていない。

「結婚を前提に、真剣に交際できる方を探しています」
「将来を考えられる方を探しています」
「ヤリモク、既婚者、ギャンブル、タバコ吸われる方NGです」

といったような記述はよく目にする。

でもものすごいイケメンだったら、既婚者でも付き合うのかもしれない。
ものすごい金持ちだったら、ギャンブル依存でも許すのかもしれない。
つきあってから自分自身がシーシャにはまって、タバコが気にならなくなるかもしれない。

そういう可能性もあるわけだが、そういう可能性は極めて低いと考えているのか、自分を代表する意見の中には含めなくてよいという判断をして、公式見解としては上記のような文章を書くのかもしれない。

「プロフ読んでない人、即ブロックします!」

と元気いっぱいに断言する人もいる。

プロフが自分のすべてなのか?
自分はそんなに単純なのか?
といったような疑問は彼女の頭には浮かばないのだろうか。
浮かばないのかもしれない。

人間は条件なのだろうか?
条件に当てはまらなければ、あなたと関係を持つことはできないのですか?

人間は条件なのかもしれない。
ほとんど無限ともいえる細かいニーズの集積が人間なのかもしれない。
私の意識は結婚を欲しているが、私の腸に在住している乳酸菌はそれを欲していないかもしれない。
私の意識はおいしいフランス料理を切望しているが、私の胃粘膜はそれを欲していないかもしれない。

どこまでが、どこからが私なのだろう。

僕には、すべての人間関係は、初めから破綻しているように思われる。
人間を構成する要素があまりにも膨大で、複雑で、変化が激しいため、そうした総体を2つ以上用意した時に、利害が一致するとは到底思えない。

それにも関わらず、少なくない数の人間が、というかほとんどの人間が、他人との関係を取り結び、関係性に名前をつけ、何か共同の利害に向けて手を取り合っているかのような幻想を抱く。
そうした幻想のネットワークが、社会と呼ばれている。

それは虚像だと初めからわかっているはずなのに、条件の一致風の何かにノイズが入ると、裏切り、不誠実、嘘つきとかいったネガティブとされる言葉が関係性の中に入り込み、何か感情的な上下動や、金銭のやり取り、一連の儀礼の交換などが起きたりする。

この目が認識している世界とは何なのだろう。
どこまでがAで、どこからがBなのだ。
この狂騒はどこまで続くのだ。
いつから始まったのだ。

遺伝子が、そのコピー能力を拡張するため、複雑な部品やデコレーションをまとったのが文明社会と呼ばれる複合コピー機だ。
このコピー機は毎日狂ったように何百万枚もの紙を吐き出す。
その紙は散らばって床を汚していく。
外側にゴテゴテついた飾りが意味のない動きをしていて、そこに太陽の光が当たって地面に影が落ちる。
その影が、幸せな家族の姿に見えたり、ロケットの打ち上げに見えたり、美しい棚田に見えたりするのだ。
それで?
それが何なの?
いつかイライラした派遣社員がやってきて、
「また故障かよクソが」とか言って、コピー機の横腹に蹴りを入れて壊してしまうのだろうか。
ケリをつけるのだろうか。
その派遣社員は誰なのだ。
どこから来るのか?
ネームプレートになんて書いてあるのだ?
「M87」?
どこの会社だそれは。
ITベンチャーがイキってつけた痛い名前か?

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