ものを考えることを、

スポーツと同じように考えてみる
全員が俺と同じような深さ、速さで跳べないからといって、他の人間が全員無価値だということにはならない。
困ったことは、たいして跳べないにも関わらず、むしろそういう人間ほど偉そうにしているということが、思考というスポーツについては起こることだ。
それも含めてバカの範囲に含まれるとすれば、精神的には許せるかもしれない。
ただ、そういうバカからもたらされる現実的な迷惑をどうするかといった問題は残る。
これは結局スタート地点に戻ったということではないのか。

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