見出し画像

愚鈍なる投機家_賢明なる投資家を逆から読む

賢明なる投資家の反対語は何か?

ベンジャミン・グレアムの賢明なる投資家は投資の勉強をしっかりした人なら少なくとも名前ぐらいは知っているような名著だ。
賢明なる投資家は、詳細な分析により対象企業の真の価値を測り、市場価格との間に乖離がある場合に投資する。そうすれば市場が真の価値を理解したときに利益を手にすることができるという考え方を示している。

ならば、賢明なる投資家の反対に位置するのはどういう人だろうか。
「賢明なる」と「投資家」の2語に分けてみると「愚鈍なる」と「投機家」、この2語を縦横に配置すると以下のようになる。

表1

以下、深堀をしてみよう。

投機家

賢明なる投資家の対極にいる存在は愚鈍なる投機家ということになる。
投機とは投資対象の本質的な価値ではなく価格の変動に注目しその動きに乗ることで利益を得ようとすることである。
しかし、グレアムはそもそも投機を行う価値のあるものとみなしていない。グレアムにとって投機家はそもそも賢明なものでありえないのだ。

ただ、それは少し過剰な言い分かもしれない。
賢明なる投資家はそもそも投資に集中することによって、合理的な手法を構築している。同様に投機家にも投機家の合理的な手法があったとしても不思議ではない。
例えば、現代ポートフォリオ理論に基づいて全世界株に積立投資を行うというインデックス投資家は個別の企業や世界経済自体の本質的な価値を分析しているわけではない。
理論のよって立つところは統計的な性質と歴史的な事実の裏付けに基づいて将来も過去に見られたのと同様に優れた結果が得られるだろうというもの。
これは賢明なる投機と言っても良いのではないだろうか。

「賢明なる」という言葉を「投資対象の本質的価値を見極める者」とみればインデックス投資家は着眼点こそ違うものの市場全体の本質的価値を見ていると言えると私は考える。

つまり投資家であるか投機家であるかはそのスタイルの違いによるものと捉えてもよさそうである。

愚鈍なる投資家

愚鈍なる投資家はどうだろうか、投資家は定義により、投資先企業の真の価値を見抜くために努力する。
賢明かどうかはその技量と努力の投入量の差と言ってもよさそうである。

ここで参考になるのは、賢明なる投資家の中で述べられている積極的投資家と防衛的投資家に関する記述だ。

  1. 現実的な平均リターンには上限がある

  2. リターンを上げるためには相応に手間のかかる分析が必要である

  3. 安全性を担保するためには最低限の基準がある

これを図にまとめると以下のようになる。

図1

図は縦軸に目標リターン、横軸に分析の質と量を置き、各投資家の手法で必要とされる分析水準と目標リターンが均衡する線を斜めの線で、現実的なリターンの上限を破線で表したものだ。
次に

図2

図2で現実的なリターンの上限を上回る部分は除き、赤線で目標リターンと分析の均衡を表した。
この図の中で、非現実的なリターンを求める者、必要な分析を怠るものを愚か者と見るのは悪くないと思う。図にすると下記の通り。

図3

愚鈍なる投機家

ここまでの考察をまとめると愚鈍なる投機家とは以下のような特徴を持つ。

  1. 投資対象の本質的価値ではなく価格に関心を持つ

  2. 現実的にあり得ない高いリターンを目標にする

  3. 目標リターンに応じた分析努力を怠る

これは一言でいえば投資詐欺に引っかかるための条件と言っても良いのではないか?

具体的に何%ならば、あり得なりリターンなのか、何をすれば目標リターンに応じた分析努力をしたことになるのかという点は、賢明なる投資家に書かれているので是非お読みいただきたい。

参考資料


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?