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農業も視野に

私が農業も視野に入れた理由は、小説家への展望に不安を感じていたのと、農業自体の働き方が私の性に合っているかなと思ったからです。

執筆作業も私が生きる上での必需品と理解しているから、生活の基盤を固める方にも力を注がねばならないと思いました。

これは私の反省と経験則からなんですが、世を憚って部屋に閉じこもり、自分の内部に付きっきりとなる執筆作業は、停滞と進歩の境界が曖昧になり易い。
その背景には、日々進捗している世の中とその流れから逸脱し一人ぽつんと空白の原稿用紙とにらめっこし苦悶しているのが要因でしょう。

私はその停滞感の打破の為に、私ができそうな仕事として農業が浮かんだのでした。

幸い私の周りには農家が多く、実際に趣味の釣りを通じて交流のあるアスパラ農家さんもいます。
私はそのアスパラ農家さんの姿に勇気や希望を見出だしました。
直接聞いた訳ではないのですが、接する内になんだか凄惨な過去の面影を漂わせているような人柄です。
しかしそれでも現実においては快活に活動し、地域とも積極的に関わっておられます。

これはちゃんと聞いた話なんですが、就農し自分の畑を持つ前の会社員時代は「俺には合わなかった」と仰られました。
結構破天荒な事、一般には通じない事を会社員時代にやっていたそうですが、自分の畑を持ってからは勤労に勤しみ、国道沿いにあるアスパラ畑は管理が行き届いていて、誰に見られても恥じる事のない立派な畑です。

それには会社員時代にはない一種の責任感と意思決定力の余白が影響しているのではないかと思います。
会社員には会社員の責任がありますが、平社員しか経験していない私には「報告連絡相談」の責任が重点を占め、幾つになっても意思決定力は自分には回っては来ないものです。
それに意を介さない社交性のある人は立派な会社員として機能していけるでしょう。
しかしその抑圧に耐え切れない人もいるんです。

集団に身を置かなくても生きる術をアスパラ農家さんから学びました。
現在、とても生き生きと活動なさっております。
その生命の躍進には目を見張るものがあります。
アスパラだけでなく、さつまいも、タラの芽まで色々栽培しています。

ありとあらゆる束縛、抑圧の前では無意識下に人生の意思決定力も削がれてしまいます。これで良いのか、こんな自分で良いのか、疑心暗鬼に沈む内に束の間の休日から人生まで楽しむ事もできずに浪費してしまいます。

そういう一面も社会生活には存在するものです。その全てを否定して孤独に生きていく事もまた不可なりで、丁度良い塩梅、すなわち自分のキャパシティの範囲内で人と交流するのが大切なのだと思います。

今日は自己防衛的な農業の理由となってしまいました💦💦
明日は農業によって得られる利他性について書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




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