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文科省が教育内容を定める社会ではいったい何が起こっているのか

教育の中央統制。
日本人はそれを当たり前のように受け入れてしまっているが、それが原因でストレスフルな社会が生まれている。

■「こうじゃないとダメ」という文化

我々日本人は正解のある問題を解くことに慣れすぎてしまっている。
そして頭の片隅に常に正解を念頭においた言動を取る習慣がある。
このことのどこに問題があるのかというと、正解が念頭にあると、まず、発想の自由度がなくなる。
発想の自由度がないと、想定できないアイデアはありえないことと判断する。
そしてたとえ現状に問題があったとしても、現状から抜け出ることはできない。
さらに、発想の自由度がないと、すぐに怒る、叱るというアクションになりがちである。
これはストレスフルな社会の原因となっている。

■傍若無人な他人に振り回されて精神を病む文化

我々日本人は正解のある問題を解くこと以外の教育をなにも受けておらず、ものごとの善悪の判断ができないまま大人になる(なりがちである)。

文科省の定める教育に、認知発達の観点はないといっても過言ではない。

「ものごとの善悪の判断」

それは教科書に答えが載っているようなものではない。
何が正しくて何がまちがっているか、
これを選択したら、どういう結果がもたらされるか、
その選択による個人の損得と、その選択によりもたらされる結果が、社会の中での自分の立ち位置をどのように定義づけるか、
そして、もし利害が相反するような事態になったとき、どういう立ち回りをするべきなのかなど、

答えのある問題を解答することで使う「思考力」とは別の次元の「思考力(哲学)」を使うことになる。

皮肉にも、真面目な人ほどよく学習し、哲学せずに書物(他者)から正解を得ようとする。

それは大人になっても変わらず、ひたすら他者から答えを得ようとする。

自分の選択、特に善悪の判断に自信、確信が持てないと、他人の言動に振り回される。

かつて「個」の時代、「個人主義」が叫ばれたとき、
社会に「集団主義、全体主義」への批判が根強くあったことから、「個人主義」を利己主義と捉えるきらいがあった。
同調圧力、(それは中央統制型教育に由来するものであるのだが)それへの反発、そして、愛国主義、全体主義、国家権力などへの反発等々があり、「個と公の関係」を大人になっても模索し続ける、つまり、社会的認知能力の発達に焦点が当たらない、当てられない時代があった。

景気が良い時はこのような社会に目をつむっていられるが、景気が悪くなるとストレスフルで、カオスな社会が顕在化してくる。

教育の中央統制を変えなければ、パワハラ、カスハラ体質のような社会は根本からはなにも変わらず、ストレスフルな社会は続く。

こんな社会は自分たちの代で終わりにしたい

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