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友と呼ばれた冬~最終話

「その所長・・・・・・前所長の千葉だが、あの男がタクシードライバーをあれほど嫌っていたのには理由があった。千葉の前職、正確にはおたくの本社の経理部で働く前のことだが」

 千葉が本社から新宿営業所に左遷された話は梅島から聞いた覚えがあったが、それ以上の千葉の過去を俺は何も知らなかった。

「もう15年以上も前の話になる。千葉は奥さんと二人でドライブ中に、居眠り運転のタクシーに追突されて多重事故に巻き込まれた。そのドライバーはSAS(無呼吸症候群)だったそうだが、適切な治療を受けていなかった。会社もドライバーの身体の不調に気づかず、乗務させていたようだ。千葉も奥さんも命に別状はなかったが、複雑骨折をした奥さんの腕は事故前のようには動かなくなってしまった。ネイリストだった奥さんには致命的だった」
「うちのドライバーが起こした事故だったんですね」

「そうだ。相当古い話だから君たちは知らないだろう。千葉はその縁でおたくのタクシー会社に転職した。会社としては体の良い懐柔のつもりだったろうが、千葉の目的は違った。本気で会社を潰したかったようだ。復讐のためにな」
「重いですね」

「そうだな。千葉もバカじゃない。恐喝がいずれバレるのはわかっていたんじゃないだろうか。自分が捕まってでも会社にダメージを与えられれば、満足だったのかもしれない」

 千葉の深い傷を知った俺は、それでも千葉を許すことも理解することもできなかった。
 千葉の底知れない苦悩が全て復讐に向けられている気がしたからだ。

 復讐は何も産み出さない。 

 重たい空気が漂う中、病室のドアがノックされると大柄な男が果物籠を抱えて入って来た。


俺以外の病室の誰もがその男に軽く頭を下げ、千尋が嬉しそうに話しかけた。

「シンドウさん!またそんなにたくさん。もう食べきれないよ」

 シンドウと呼ばれた男は恥ずかしそうに笑うと果物籠を美咲に手渡し、俺に向かって頭を下げた。

「真山さん、この方はシンドウさんだ。昨日も来てくれてな。中央公園からこの病院へあなたと梅島さんを運んでくれたのがシンドウさんだ」

 成田が紹介してくれた。

「あの時、助けてくれたのもあなたですよね?お世話になりました」
「エンブレイスのオーナーの新堂と言います。うちの竹田が大変なことをしでかしました。真山さんには、きちんとお詫びをしようと……」

「千尋ちゃん、お菓子でも買いに行こうか」

 美咲が千尋を病室から連れ出すと、新堂は知っていることを全て話してくれた。

 「エンブレイス」の常連客だった郷田が遊ぶ金欲しさに店長の竹田を誘い、不倫カップルの強請りゆすりを二人で思いついたのは昨年のことだった。だが、店でそれらしい客を見つけてもなかなか証拠は掴めない。考えた郷田たちは、タクシーの車内映像を利用する方法を思いついた。

 女癖の悪そうな既婚男性に特定の店の女をつけ、新宿営業所のタクシーを選んで映像記録を残させる。車内では大げさに男に絡み、ラブホテルに出入りしているように見える乗車場所や降車場所を選ぶ。
 裁判証拠のためではない、既婚男性の妻が疑うような映像で充分だった。

 金に困っている店の女に声をかけ3人確保した。女たちへの報酬を差し引いても充分な稼ぎになると踏んだ郷田たちは決行に移した。

 タクシーを選ぶ方法は俺が思った通り、会社特有の行燈と車体に書かれた営業所の表記だった。新宿営業所のタクシーなら郷田でも隙を見てSDカードを回収できると考えたようだ。
 だがドライバーが他の車両のSDカードを回収するのは思った以上に難しかった。そこで郷田は千葉に声をかけるとすぐに話しに乗ってきた。
 「千葉も金が目当てだった」と、竹田は話していたらしいが、先ほどの成田の話を聞いた後では、金が目当てだったのか会社への復讐なのか、今となっては真相は分からない。

 女たちは降車した後に車の無線番号と乗車時間を竹田に連絡し、竹田はそれを千葉へと伝える。
 千葉は竹田から連絡があった時だけ動けば良かった。伝えられた無線番号の車両が帰庫したら、SDカードから特定の時間を探して映像を見つけ出し、それを抜き出して保管する。 

 最低2回の、期間を空けた「不倫に見える」映像を確保したら、男の家が判明した時点で強請るゆする。 

 これが今回の犯罪の全容だった。 

「あの日、梅島さんが開店前の店に来て話してくれなかったら、私は気づかなかったと思います。梅島さんと話している時は半信半疑だったので、店長の竹田を同席させてしまった。竹田はその場では他人事のように聞いていたが、梅島さんが話を終えて店を出た後に追うように出て行ったのが気にかかってはいたんです。

 梅島さんがその後、竹田に捕まって郷田の待つ中央公園へ連れていかれる間に、隙を見て私が渡した名刺の番号にかけてきてくれなかったら、居所すらわからなかったと思います。本当に申し訳なかった。私の監督不行き届きです」

 新堂は大柄な身体で精一杯縮こまって頭を下げた。見ているこっちが気の毒になってしまった。

 新堂の話を聞いた俺は、一つだけ引っかかっていた事を聞いた。

「新堂さんは、千葉とは面識があったんですか?」
「直接面識はありませんが、店に時々顔を出した時に、郷田と一緒に飲んでいる千葉を何回か見かけたことはありました」

「成田さん、もしかして大野のSOSの消し忘れを見て声をかけてくれたのは」
「そうなんだよ、新堂さんだ。一昨日、病院で会ったときは驚いた。不思議な縁だな」

 大野のクレーム映像が途中で切られていたのは、新堂が映りこんでいたのを見た千葉が編集したのだろう。
 エンブレイスでの新堂に対する店の者の態度を見れば、新堂がオーナーであると気づくのは容易だ。だが新堂は千葉に接触はしなかった。
 新堂はこの件に関わっていないと気づいた千葉が、映像に残してはまずいと考えたのだろう。この容姿の男とは誰でも関わりたくない。

「真山さん、怪我が治ったら是非、店に顔を出してください」

 新堂は俺に厚みのある名刺を渡すと、病室を出ていった。
 頭の中を読まれたようで俺は思わず頭を下げた。

 廊下から新堂に挨拶をする千尋の声が聞こえ、二人が戻ってきた。
 千尋はすっかり明るさを取り戻したように見えた。

「いい娘に育てたな、大野」
「はい、ありがとうございます」

 大野の横で千尋が誇らしげな顔をしていた。

「真山さん、友達たくさんできて良かったね」
「友達?」
「真山さん?」

 千尋が睨みつけてくる。大野は笑って見ていた。

「そうだな、たくさん出来たかもな」

 俺は素直に千尋に言った。

 病室の窓から差し込む西陽が部屋全体を黄金色に染め上げていた。その光が俺の心の中の闇をも照らし出したのだろうか。

 俺は孤独ではないと実感していた。

 「悪くないな」

 穏やかな笑顔で溢れる病室を見回し呟いたつぶやいた。 

 千尋が俺の耳元に来て小さな声で言った。

 「聞こえたよ、良かったね」

 そういうと嬉しそうに笑った。

 【完】



第47話

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