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「朧月」 #シロクマ文芸部

朧月がこんなに明るいなんて。
自分が無防備に晒されている感覚に陥る。


ススキが生い茂る野原の少し小高くなったその場所で、かれこれ9時間が経過した。

いくら気配を消そうが、

彫像のように動かずにいようが、

こんな田舎の野原の中に午前中から居座っていたら人目も引くってものだ。

なぁにやってんだぁ?

野原の中の小道を歩く地元民からのんびりと声をかけられる。

てっきり獣道かと思って油断していたが、ここはどうやらじいさんばあさんのお散歩コースのようだ。

この辺りに珍しい野鳥が飛んでくるって聞いてどうしても撮りたくなりまして。

と、三脚にセットしたカメラを示す。


珍しい野鳥かい?

そんな野鳥飛んできたっけかねぇ

物好きだねぇ

と去っていくお年寄りたち。

腰かけたアルミケースと、三脚にセットされた仰々しい望遠レンズつきの一眼レフ。

数時間は誤魔化せても、さすがにそろそろ不審に思われる。

だいたい、珍しい野鳥なんてでまかせもいいところだ。


不審もそうだが、身体も限界だ。

缶コーヒーはとっくに飲み干した。
非常食のカロリーメイトも食べ終わった。
トイレは我慢するしかない。

ライターの火は言わずもがなだが、暗闇にボーッと浮かび上がるタバコの先端も案外目立つものだ。

手のひらで隠すようにしてタバコをふかす。
視線は決して外さない。


昔ながらのコテージ式のラブホテル。
対象の部屋の灯りが消えた瞬間に全てを賭ける。


尾行はもう必要ない。
ホテルの入りは撮った。
出を撮れば、この調査も終わりだ。


これまでのパターン通りなら宿泊はないはずだ。
帰りの時間を考えると遅くても日が変わる前に出てくる。


景色が動いた。

視覚が鋭敏に反応する。

部屋の灯りが消えた。


息を整えて。そして止める。

ドアが動き、朧月の月光にシルエットが浮かぶ。


モータードライブが唸り、NikonF3が絶大の信頼でシャッターを切り続ける。


寄り添うシルエットが建物脇の駐車スペースに入ると、感知式のライトが舞台を整えた。

人着がしっかりとフィルムに焼き付いた感覚。


よし…。


ヘッドライトがこちらを射抜き、反射的に身を屈めた自分を笑った。


遠ざかる排気音が、朧月夜に曖昧に溶け込んでいく。


堅牢なボディーの中にあるフィルムが何人もの人生を変えるだろう。

彼らに待ち受けるのは、果たして…。


悪い癖だ。
引き摺られるな。

曖昧に、朧に。

ふぅ…。

タバコがやけに不味いのはなぜなんだろうか。


シロクマ文芸部の企画に参加させていただきました。

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