友と呼ばれた冬~第15話
カーテンを開けると外は薄暗かった。目覚ましで起きたはずなのに一瞬今が何時なのか分からなかった。タバコを吸い熱い珈琲を腹の中へ流しこむとようやく体と頭が機能し始めた。
一晩中充電をしておいたノートパソコンの電源は今朝になっても入らなかった。新品で購入したコードが原因だとは考えにくく、かといってパソコンを修理できるほどのスキルは持ち合わせていなかった。
そもそも何故このパソコンに電源コードが繋がれていなかったのか?大野はこれを使っていなかったのだろうか?もう一度大野のアパートに行き手掛かりを探してみる必要があった。それに千尋が警察に失踪届を出すなら大野の身分証が必要になる。
会社に大野の免許証のコピーがあるはずだが協力してもらえるかはわからない。やはり大野のアパートにもう一度行ってみるしかなかった。保険証が見つかればいいのだが。
外に出ると冷たい雨が降り始めた。長い一日の始まりにしては上々だ。
14時少し前に西早稲田に着いた俺は駅前のカフェに入って時間を潰した。14時は出庫で慌ただしいはずだ。好奇の目に晒されるのは避けたかった。
今日二杯目の珈琲を飲みながら外を眺めた。店内からでも冷たく見える雨が窓ガラスにあたり、不思議なほどに整然と垂れ落ちている。雨の中でもガス工事が行われていて明治通りは渋滞していた。
30分ほど時間を潰し俺は店を出て新宿営業所へ向けて歩き出した。
営業所の敷地の出入り口で、出勤してくる乗務員にビラを渡している者が居た。手を出すと首を傾げながらも渡してくれた。明日開かれる労働組合の支部会の案内だった。議題は昨今話題になっている「ライドシェア」についてのようだ。俺はビラを折ってジャケットのポケットに仕舞い事務所のドアを開けた。
「失礼します」
事務所に入ると梅島が立ち上がり近づいてきて小声で言った。
「お前とは電話で話したことになっている。ここに来たことは伏せて合わせてくれ」
俺は小さく頷き、久しぶりに会ったかのように
「梅島さん、太りましたか?」
と、大声で言った。
周りからくすくすと笑い声が聞こえ、梅島が睨み付けてくる。
「所長、真山が来ました」
事務所の奥に座る白髪を後ろに撫で付けた目付きの鋭い男が応接室へ行けと言うかのように手を振った。俺は梅島に連れられて先日梅島と話した応接室へと歩いていった。
「生意気なオヤジですね」
「曲者だぞ。気をつけろ」
小声で言うと梅島が腰の辺りを小突いてきた。
所長が座る机を横目で見ると「所長 千葉」と書かれたプレートが乗っていた。千葉はこちらに視線を向けたが、すぐにまた机の書類に目を戻した。うちの所長の机にもプレートが乗っていたかどうか思い出せなかった。興味が無いことは記憶には残らない。
15分ほど待たされてようやく千葉が入ってくると無言でソファーに前屈みに座り両手を組んで俺を見上げた。隙のないスーツ姿だった。体の線は細く顔はゴルフ焼けしたかのように黒い。人を見下す態度が全身から滲み出ている。俺が生涯決して分かり合えない人種に見えた。千葉の目を見返すと細面の顔は神経質そうに僅かに痙攣した。
「大野のことだが」
耳障りな甲高い声だ。
「会社としては大変迷惑している。色々と問題が多い男だったからいつかこんなことになるんじゃないかと心配していたんだが、大事な営業車を放置して失踪とは」
「そういう話を聞きに来たのではないんですが」
俺は自分でも驚くほどの怒りが込み上げてきて声を荒げた。
「大野と同期の梅島の教え子か。なるほど」
わざと感情を抑えているのが余計に気に入らなかったが、そのわざとらしさが俺を冷静にさせた。
「所長さんはお忙しいでしょうからご用件をお聞きしたい」
「そうだな。乗務員と世間話をする趣味は私にはない。大野の家に何か手がかりはあったのか?」
千葉にどこまで話したのか梅島に聞いておくべきだった。昨日は寝不足だったとは言え俺は自分の間抜けさに腹が立った。
「手がかりは何もありませんでしたよ」
「大野の娘はなんで営業所も違うお前に連絡をしたんだ?」
間髪入れない千葉の返しに、この男は何かを知っていると確信した。慎重に会話を進める必要があった。
「梅島さんから聞いてないんですか?」
「聞いてないからお前に確認しているんだ」
苛立ちを隠そうともせずに千葉が吐き捨てた。梅島は余計な話はしていないようだ。梅島の立場を悪くしてしまっていることに申し訳ない気持ちになった。
「梅島さんにも話しましたが私にもわかりません。何度か大野の家に行って娘と面識があったからじゃないですかね?」
過去にそんな交流はなかったが千葉に本当のことを話す必要はない。
「梅島の教え子たちは仲がいいんだな」
「どうですかね。仲間意識はそれほどないと思いますが」
千葉の目が一瞬笑ったように見えて気に入らなかった。
仲が良いことを完全に否定する気持ちは湧かなかった。この男を気に入らないからなのか、千尋の為なのか、大野に対する俺の心の変化なのか自分でもわからなかった。
俺はこれから千尋が警察に行くことは伏せ、千葉に探りを入れた。
「警察に捜索願は出さないんですか?」
「どうせ見つからないだろう。売上金を持ち逃げしてくれれば探す価値もあったんだが」
「大野の娘にそのまま言ってくれませんか?」
「調子に乗るなよ」
凄んだつもりだろうが芝居がかっていて逆効果だった。俺が無言で見返すとまた千葉の顔が細かく痙攣した。この男の全ては虚構じゃないか?そう思った俺は警戒を強めた。卑屈な小物ほどたちが悪い。
「大野の娘とは連絡を取っているのか?」
「いえ、何か分かれば会社から連絡が行くだろうと伝えてそれっきりです」
「ずいぶん冷たいじゃないか」
口の片側を吊り上げながら千葉が笑った。
「何かわかったら私に知らせるように」
「知らせるも何も、私にそうおっしゃる意味が分かりかねますが」
「そうかな?まぁいい。話は以上だ」
千葉は取り繕うようにスーツの皺を伸ばしながら立ち上がり背を向けた。俺は出ていこうとする千葉の背中に向かって聞いた。
「所長は元ドライバーですか?」
「私が?まさか」
こちらを振り返った時の虫けらでも見るような千葉の目を俺は心に深く刻み込んだ。
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