笹塚
「ダウンタウン」には、売れない時代がありました。
あれだけの才能です。40年以上の長きにわたり、お笑い界を牽引しています。すぐに売れたよね?そんなイメージが、なんとなく世間にある気がします。
事実は異なります。
デビューして数年間、彼らは大して売れていませんでした。
くすぶり続ける2人の才能を導いたのは、吉本興業の元会長、大﨑洋さんです。「3人目のダウンタウン」と言われる方です。
大﨑洋さんは、こう語ります。
ほぼ同世代のわたしの体感では、彼らの関西における人気のブレークとなるのは「4時ですよ~だ」という番組です。この番組が始まるのは1987年。ダウンタウンは結成して4年の月日がたっていました。
あの頃、吉本興業は「清水圭」と「和泉修」の若手2名を売ろうとしていました。圭修というユニット名だったと思います。それはもう露骨でした。一方で、松竹芸能は森脇健児、山田雅人を売ろうとしていました。ゴールデンの番組を持っていたと思います。
一方のダウンタウンはといえば、夕方4時という、中途半端な時間帯で勝負をかけます。勝算は高くなかった。でも、かえってこれが良かった。アイドル的な人気が沸騰するのです。「4時ですよ~だ」は社会現象となります。
「なんか知らんけど、夕方の番組がとんでもないことになっているぞ」という噂を知りつつ、やっとゴールデンで観ることができると思ったら、関西ローカルではなく、全国ネットでした。
くすぶっていた鬱憤を晴らすかのように、清水圭も和泉修も、森脇健児も山田雅人も、同期のトミーズなども、ダウンタウンは光速でぶっちぎっていきました。
その立役者・キーマンが大﨑洋さんだったわけです。
あっという間に、時代の寵児となったダウンタウンですが、わたしと共通点がひとつだけありました。
東京に住むことになったとき、わたしが選んだ街は「笹塚」でした。松本人志さんが、東京で最初に住んだのも「笹塚」でした。
笹塚は新宿に近く、下北沢にも近い。渋谷も遠くない。なにかと便利な街です。そのせいかどうか、松本人志さんに限らず、大物たちが好んで住む印象があります。
たとえば、リリー・フランキーさん。大ベストセラー「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~」は、ほとんど笹塚が舞台の小説です。
電気グルーヴの石野卓球さんも、笹塚に住んでおられました。
高額納税者になると、みなさん、よりグレードの高い街に引っ越すので、松本人志さんも、リリー・フランキーさんも、石野卓球さんも、今では笹塚の住民ではありません。
しかし、みなさんこの街でブレークしたのは確かです。
わたしは密かに笹塚は、大物を輩出する「幸運の街」ではないかと思っています。もし、東京に出ようとしている若者に、オススメの街をきかれたなら、こう言います。
「売れたいなら、笹塚に住め」
世間的には「ボーリング場」が有名な、地味な街なんですけどね。
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