カナイと八色の宝石③
村に戻ると、広場に人垣ができていた。少し離れたところにテンデが立っていて、カナイとシュリを見つけると手招いてくれる。テンデの顔に焦りの色は見えなかったので、カナイはほっと息を吐いた。
「テンデ。何が、あったの?」
安堵したのも束の間、村人から歓声と悲鳴が上がって、カナイとシュリは人垣を見た。人垣の中心に、黒い仮面を付けた背の高い男が立っている。
彼は両手にナイフを持ち、交互に投げては受け止めていた。始めは二本だったナイフが、いつの間にか三本に増えている。観客の中には、恐怖のあまり,、両手で顔を覆う者もいた。
「あれは、ジャグリングっていうんだぞ。俺は、首都で見たことがあるからな」
カナイが振り返ると、テンデは得意気な顔をしていた。村人の多くは、村から出たことがない。一度、村長に連れられて首都に行ったことがあるテンデは、何かと首都を結び付けては自慢したがるのだった。
「今、首都から雑技団が来てるんだ。半鐘鳴らしてやったら、この騒ぎさ」
「テンデの仕業だったのか」
鼻を擦るテンデを、シュリは呆れたように見上げた。その隣りで、カナイは爪先立ちをして、人垣の中をもっとよく見ようと試みる。しかし、カナイより背が高い大人がいっぱいいて、うまくいかなかった。
「よく見えないよー」
カナイが何度かジャンプしているうちに、仮面の人物のジャグリングは終わってしまった。がっくりと肩を落とすカナイの背を、シュリがなぐさめるようになでた。
「お次は、軟体人間チンとエレでございます」
男性の声で紹介があった後、緩やかな笛の音が聴こえ始めた。カナイは顔を上げたが、やはり軟体人間の姿は見えない。ため息を吐いて、視線を落とす。そこで、カナイは目を丸くした。
「お猿さんだ」
カナイの歓喜の声に、シュリとテンデもカナイの足元を見た。一匹の小猿が、つぶらな黒い瞳でカナイを見上げている。黄色いチョッキと帽子を身に着けた姿は、明らかに野生のものではなかった。
「猿なんて、久し振りに見たぞ」
拾い上げようとしたテンデの手を、小猿は思い切り引っかいた。途端に、テンデが悲鳴を上げる。その間に、小猿はカナイの体を伝って肩に座った。小猿をにらみ上げるテンデに、カナイは笑って肩をすくめた。
「テンデが怖かったんだってさ」
「ねー」と、カナイは小猿の前に人差し指を出した。小猿は警戒することなく、カナイの指を握る。肩に座れるほど小さな体なのに、小猿の力は意外としっかりしていた。跡が付くほど強くはないが、簡単に振りほどけるほど弱くもない、といったところだ。
「僕は、小猿なんて初めて見たよ」
シュリが恐る恐る手を伸ばして、小猿の頭に軽く触れる。動かない小猿に、テンデは地団太を踏んだ。
「なんで、俺だけ引っかかれたんだよっ」
テンデの怒鳴り声に、小猿は犬歯をむき出しにして唸った。小猿の手に力が入って、指に痛みを感じたカナイは顔をしかめる。そんなカナイの背後から、小走りで土を踏む音が聞こえてきた。
「ごめんなさいっ。大丈夫かしらっ?」
カナイ達は振り向いて、声の主を見た。声の主は、カナイと同じ歳か少し上くらいの少女だった。少女は「あっ」と声を上げると、テンデに駆け寄った。
「ごめんなさい。ルルが、やったのね?」
少女は両手で、テンデの怪我した手を取った。対するテンデは、顔を真っ赤に染め上げている。
「こんなテンデの顔、初めて見た」
瞬きを繰り返すカナイの声に、少女が振り向いた。
「あ、ルル。こっちに、いらっしゃい」
少女はテンデの手を離すと、腰帯から細い紐を取り出して、小猿に手を伸ばした。それに小猿は首を振って、カナイの頭の後ろに隠れてしまう。小猿に掴れた髪が痛かったが、カナイは笑顔で少女の顔を見た。
「逃げないから、大丈夫だよ」
「でも……」
細い眉を下げた少女は、また「あっ」と声を上げて両手を打った。
「みなさん、私のテントに来てもらえないかしら? 傷の手当もしたいし」
カナイ達は、顔を見合わせた。シュリは何とも思ってなさそうだったが、テンデは首を勢いよく縦に振っている。村で唯一の女の子であるカナイも、同じ歳頃の少女に興味があった。
カナイが頷くと、少女とテンデが笑顔になった。
「村の入り口に建てさせてもらったの」
踵を返して歩き始めた少女の後を、テンデが慌てて追っていく。その後を、カナイとシュリは並んで歩いた。カナイの右隣りを歩くシュリは、少女の後ろ姿を見ては首を傾げている。
「どうしたの?」
カナイがシュリを見ると、シュリは眉を寄せて唸った。
「うーん。あの子、ただの旅芸人に見えないんだけど」
今度は、カナイが首を傾げる。
「どこが?」
初めて雑技団だの芸人だのを目にしたカナイには、旅芸人らしさが分からない。それはシュリも同様らしく、カナイの真っ直ぐな視線に怯んだように後ずさった。
「どこがって。なんとなく、仕草が上品っていうか、カナイとは違う感じが……あ、ごめん」
両手で口をふさいだシュリに、カナイは口をとがらせた。
「どうせ私は、上品なんかじゃありませんー。シュリなんか、知らないっ」
カナイはシュリをその場に残して、大股開きで少女とテンデとの距離を詰めた。背後からシュリが謝りながら追いかけてくるが、聞こえない振りをする。少女とテンデが振り向いて、二人揃って小首を傾げた。
「何やってるんだ、お前達?」
「べーつーにー」
カナイはテンデを追い抜くと、少女の隣りに並んだ。小猿は怒るカナイが怖いのか、これ幸いと少女の肩に乗り移る。少女は小猿を指であやしながら、カナイを見て苦笑した。
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