日記 川上弘美「神様」など

「神様」を再読する。

人間と、人間ではない生物たちが、人間世界で交流する、物語たち。と書くと何ともへんてこ。でもこうとしか書けない。
この、(川上作品全体に現れる)「人間ではない生物たち」について、頭でわかるようなでもよくわからないような、という感覚をずっと持っていたのだけれど
朝ドラらんまんを観た後だと、これがすとんと、腑に落ちるような気がした。

(勿論様々な読み方があると思うけれど)これは、人間と自然が共存できていた頃の話なのかもしれないなと。

万太郎が見つめる植物への眼、守ろうとしていた小さな神々たち、そういう世界の延長線上に、「神様」の「くま」や、悩む「河童」や人を惑わす「人魚」がいるのではないだろうかと。

-

「くま」の愛おしさと言ったらない。
礼儀正しく、「大時代な」、料理も上手で準備もよく、紳士的。

それでも時折、熊の「野生」が現れる。
「草上の昼食」での、雷雨の中の「くま」の雄叫び。こわさ、神々しさ。普段親しくしている存在の、人間にはどうしようもない側面。恐れと畏れ。

「くま」は故郷に帰るという。
読みながら、「わたし」と同じく悲しくなってしまった。「くま」は、人間の世界に「結局馴染みきれなかったのでしょう」と言う。こんなに上手に料理を作るのに。

「くま」はじきに言葉を忘れてしまうだろう。「わたし」との時間はどうだろうか。二ヶ月後に「わたし」の元に届く、宛名の無い手紙には、「忘れたく無い」という気持ちがあったように思う。届くことのない返事は、その気持ちを永遠にしたようにも思う。

「熊の神様は熊に似ている」人間の神様が人間に似ているように。
「くま」には最後まで名がないこと(名を拒否し続けたこと)、名付けるという行為そのものが人間的な価値観なのだなということを思う。らんまんの延長上に読んだけれど、最後の最後にそこはひっくり返るのだなと思いつつ。

-

全く違う生き物と、こころを交わすほんの少しの時間。違う価値観で生きる人、と読むこともできるかもしれない。共存することとは、争うことなく別の場所で生きてゆくこと。

このタイミングで読んだこと、とても示唆的であったな。こういう物語からメッセージを受け取り過ぎるのは、現状や時代がのっぴきならないからでもあるなとも思うけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?