感性

数年前にTwitterで少女を室外機化させた絵を見た。当時無知だった私はそれを見て、擬人化の逆もあるのだということを知り、そしてそれが非道徳的な扱いに感じられ、強い衝撃を受けた。その絵は少女の一部が室外機に呑まれているような物体が、まだ少女の形が残っているにもかかわらず一般的な室外機と同様に設置されている絵だった。
先程、私はふとそんなことを思い出した。今までにも何度か記憶が蘇ることがあったことを考えると、かなり強い印象を与えられたのだろう。そして、今回はついに、あの絵をもう一度見てみたいと思った。ところが、どこかに保存していたわけでも、共有したわけでもない以上、数年前のそのツイートを探し当てるのは事実上不可能だろう。そう思いながら、TwitterとPixivで、いくつかの単語で検索をした。予想通り、あの絵が見つかることはなかった。
ところで、あの絵をもう一度見ようと思ったのは、記憶の中のそれが、グロテスクで美しい一つの芸術作品であるように思えたからである。長い月日を経て記憶が美化されたからなのか、それとも私の感性が変化したからなのか、そのどちらによるものなのかを確かめたかった。
私は今思春期だ。この数年間で私に起こった変化はきっと私の人生の中で、後にも先にも類を見ないものであるだろう。以前あの絵を見たときにはただ衝撃を受けただけだった私が、今になって同じ絵を見て美しさを感じ取ることが出来るようになっているのなら、きっとそれは私が成長した証だと言えるだろう。
私の思春期はもう少し続く。大きく変わることのできるこの期間に、更なる経験と思考を重ね、そして今はまだ感得出来ていない美をも見出せるような人間に成長していきたい。

P.S. それっぽい絵を見つけたら教えてください。