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私と文章についてのなんやかんや その2

*サムネイルの写真は物語のアイディアの走り書きを撮影したものです。ダイイングメッセージではありません*

しばらく絵やその周辺に関するつぶやき(ボヤキ含む)ばかり投稿していたので、うっかり忘れ去りそうになっている物語を書くことの記事の続きを書きます。
毎度オチのない文章になってしまうと思いますが、よろしければお付き合いください。

さて、先回までUO内での文学賞に創作小説を何作か書いたところまでお話を進めていたわけですが、履歴を見てみると創作小説を今まで11作書いていました。

一番最初に書いたものは先回ちらっと登場した、ゲーム内キャラクターNiboshiの物語で、ブログに掲載している未完成の物語からワンシーンを抜き出したものでしたが、それこそブログと同時進行に書き進めなければならず文学賞には締め切りもありますのでもうゲームもしないで書き進めていた記憶があります。

ゲーム外でゲームのことを物語に書くのは今も変わらずにやっていて、課金しているのにゲームにインしない。
しかしゲームをネタに創作しているのでインしなくても満足できてしまうという、なんだか本末転倒な事態になっております・・・。
絵を描く時も同じ状態になっているので、私は一体いつインできるんでしょうね。
単に自由に使える時間を費やしているだけなのですが。

それはさておき。
私が創作小説を書く時に底に置いてある設定ですが「登場人物の考え方はシンプルに」という点です。
といいますのも、私はUOは中世のような世界であると考えていますので、現代(日本)のような安全な世界ではなく、なにはなくともまず生きて食べていかなければいかない世界で、何といいますかプリミィティブといいますか、例えば夜、家の外に出て街から離れると街灯の灯る道などなく、一人では木々を分け入って進むことも躊躇するような世界。
そんな状況になることは現代の私たちはめったにないことだと思います。
あ、ソロキャンプしたりひとりで山籠もりをする人はあるかもしれません。(なんなんだ)
そんな世界の人達は私たち現代人のようなややこしいものの考え方をしないんではないか、と考えています。
物事の捉え方、考え方が今の私たちよりも素朴。といえばわかりやすいでしょうかね?

そんな世界の様子とそこに生きている人々の物語をどのくらいの言葉の分量を使って描いて行くのか。
物語の筋立てだけではなく、その物語がどんな世界で起きているのかをイイ塩梅に読み手の人達に伝えられるか試行錯誤していく。
私が文を書く楽しさを感じるのはその点だと思います。

私に物語を書くことを進めてくれた方が私の作品を読んで
「Niboshiさんは自分の中にある世界を作り、描きたい欲求があるんでしょうね(ちょっとうろ覚えですみません)」
と言ってくださったことがあるのですが、的を射た一言だなとつねづね思っています。

自分の中にあるイメージを形にする。
何かを創作する時、自分の中にあるものと向き合い、自分の知識や技を駆使しなければそれを形にすることはできない。
創作をする人たちはその苦しみと楽しさに魅力を感じているんではないでしょうか?
別の考え方をする方ももちろんいらっしゃると思いますが、私はそう感じています。


うーん。
一生懸命描いてみましたが、こういう文章は苦手なのが良くわかる出来栄えになってしまった。
お付き合いくださいまして、ありがとうございます。

続くかどうかわかりません💦




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